白河を散歩|戊辰戦争で薩摩など西軍が侵入したルートをたどってみた
(2025年秋口に散歩)

昨日の雨はなんだったんだってくらいの天気だな。
でも、白河の関を散歩できたから満足だ。
この風景、東横インホテルから。

朝早くから散歩でござる。

工事中の駅に松尾芭蕉がにらみをきかせている。
役立っている感あるね〜。
でもちょっと神経質そうな顔してるな〜。
全国をすきで徘徊(俳諧?)してたんでしょう。
もっといい顔でおねげ〜しやす。

戊辰戦争で西軍が進入した経路をたどってみようというのが
今朝の散歩の目的だけど
下調べはあまりしない、偶然と発見を楽しむべし(つむ語録)

もうそんな季節か。
9月、まだまだ暑いけどな〜。
こんな小春日和の穏やかな日は♪
さだ研へのファンサービス・・気をつかうよな〜(笑)

イナゴだ、小さい頃に福島の親戚宅で甘く煮たのを食べてたな〜。

ここ薩摩・長州などが侵入したルート。

このつきたりが激戦地だ。
会津藩などが迎え撃った。

注目したいのjは、白河市教育委員会が書いた表記に注目だ。
薩摩大垣など 【 西軍 】 となっている。
西郷頼母は会津藩の家老。
西郷家は薩摩・長州などが会津城下へ攻め込んだ時に
女子供など含め一族もろとも自害している。
生き残った息子西郷四郎はが柔道「姿三四郎」のモデルだ。
嘉納治五郎のもと、柔道家つよかったらしい。

これは・・。

大垣と長州か、ふるさとを離れてここで亡くなったのか。

白河観光物産協会の記載は 【 新政府軍 】。

こっちは・・。

700名も戦死したのか、完敗だったんだ。
銃の射程距離に差があったらしいからな〜。
【 新政府軍 】 と書いているのは意外だ、さっきのように西軍≠ニすることが多い。
薩摩・長州を政府軍≠ニしてしまうと、会津・白河・仙台など賊軍≠ニなってしまうからだ。
白河観光物産協会はどういう考えなのだろうか。
もしかしたら勉強していないだけなのか。
会津ではどこでも 【 西軍 】と記載があり一貫している。

続きがあったのか・・悲しい歴史だ。
やっぱり白河観光物産協会の記載は 【 新政府軍 】
会津藩士が思い込み≠ニ会津藩側を暗にわるく表現している。
いい思い込み≠ネどない、逆恨みは筋違いだといっているのだ。
たしかに軍事力の量と質は差があったと思われる。
けどね、あえて思い込み≠ネんて上から目線の言葉をチョイス
しているところにこの白河観光物産協会が薩摩・長州よりの立場を
とっていることが読みとれる。ここは白河よ〜おかしい〜。
では、戊辰戦争の各地の温度感はどんなものかのかというと
薩摩はいたって客観的な事実のみで言葉に思いをあえて入れていない感じがする。
東北を敵視するような文言は少しもない。
それどころか、日本を変えたんだくらいのアピールがあってよさそうなものだが
それも控えている(最近、鹿児島駅まえに維新メンバーの像がたち
ちょっと考え方が変わった感あり残念)。
長崎の大村などでは東北を批判的な文言がみえた。
そのほか、地元ベースで説明するものの、相手方を敵視するような
文言はあまりみない。
会津でつかわれる西軍≠ニ言う言葉は
自分たちは決して賊軍ではないという誇りを感じる。
藩主松平容保は孝明天皇からの手紙を生涯大切にしていたときく。
それが賊軍ではないと証であったからであろう。
歴史ドラマでは岩倉具視が考えた錦の御旗≠ェあるが
京都の街が燃える中でそんなに効果あったのかは疑問視している。
歴史は勝者側から語られるもので、岩倉具視んぼ自己アピールに
すぎないと考えている。

城下町はこの先だな。

さて、奥州街道から城下へ入るとしよう。

今年は注目されてるしやり時だよね。

笑ってる?

やっぱ、城下町の道はまっすぐじゃね〜よな〜。

さて。

至って街中の片隅だけど。

そうか・・。
手をあわせていこう。

こりゃ〜堀として機能していたんだろう。

なんかある。

手をあわせて。

字に迷いがない。

城下町だ。

お〜城下町ならではだね。

この文字体すきなんだよね〜。

もう1本、お城側の道へはいってみた。

ここはむ1本お城側というかJR近くのみち、
メインストリートではないけど。

タバコ屋さんやってたんだな。

おっと、そろそろホテルへ戻って出発せねば。

西郷って西郷隆盛のイメージあるけど・・。

昨日の雨はなんだったんだってくらいの天気だな。
でも、白河の関を散歩できたから満足だ。
この風景、東横インホテルから。

朝早くから散歩でござる。

工事中の駅に松尾芭蕉がにらみをきかせている。
役立っている感あるね〜。
でもちょっと神経質そうな顔してるな〜。
全国をすきで徘徊(俳諧?)してたんでしょう。
もっといい顔でおねげ〜しやす。

戊辰戦争で西軍が進入した経路をたどってみようというのが
今朝の散歩の目的だけど
下調べはあまりしない、偶然と発見を楽しむべし(つむ語録)

もうそんな季節か。
9月、まだまだ暑いけどな〜。
こんな小春日和の穏やかな日は♪
さだ研へのファンサービス・・気をつかうよな〜(笑)

イナゴだ、小さい頃に福島の親戚宅で甘く煮たのを食べてたな〜。

ここ薩摩・長州などが侵入したルート。

このつきたりが激戦地だ。
会津藩などが迎え撃った。

注目したいのjは、白河市教育委員会が書いた表記に注目だ。
薩摩大垣など 【 西軍 】 となっている。
西郷頼母は会津藩の家老。
西郷家は薩摩・長州などが会津城下へ攻め込んだ時に
女子供など含め一族もろとも自害している。
生き残った息子西郷四郎はが柔道「姿三四郎」のモデルだ。
嘉納治五郎のもと、柔道家つよかったらしい。

これは・・。

大垣と長州か、ふるさとを離れてここで亡くなったのか。

白河観光物産協会の記載は 【 新政府軍 】。

こっちは・・。

700名も戦死したのか、完敗だったんだ。
銃の射程距離に差があったらしいからな〜。
【 新政府軍 】 と書いているのは意外だ、さっきのように西軍≠ニすることが多い。
薩摩・長州を政府軍≠ニしてしまうと、会津・白河・仙台など賊軍≠ニなってしまうからだ。
白河観光物産協会はどういう考えなのだろうか。
もしかしたら勉強していないだけなのか。
会津ではどこでも 【 西軍 】と記載があり一貫している。

続きがあったのか・・悲しい歴史だ。
やっぱり白河観光物産協会の記載は 【 新政府軍 】
会津藩士が思い込み≠ニ会津藩側を暗にわるく表現している。
いい思い込み≠ネどない、逆恨みは筋違いだといっているのだ。
たしかに軍事力の量と質は差があったと思われる。
けどね、あえて思い込み≠ネんて上から目線の言葉をチョイス
しているところにこの白河観光物産協会が薩摩・長州よりの立場を
とっていることが読みとれる。ここは白河よ〜おかしい〜。
では、戊辰戦争の各地の温度感はどんなものかのかというと
薩摩はいたって客観的な事実のみで言葉に思いをあえて入れていない感じがする。
東北を敵視するような文言は少しもない。
それどころか、日本を変えたんだくらいのアピールがあってよさそうなものだが
それも控えている(最近、鹿児島駅まえに維新メンバーの像がたち
ちょっと考え方が変わった感あり残念)。
長崎の大村などでは東北を批判的な文言がみえた。
そのほか、地元ベースで説明するものの、相手方を敵視するような
文言はあまりみない。
会津でつかわれる西軍≠ニ言う言葉は
自分たちは決して賊軍ではないという誇りを感じる。
藩主松平容保は孝明天皇からの手紙を生涯大切にしていたときく。
それが賊軍ではないと証であったからであろう。
歴史ドラマでは岩倉具視が考えた錦の御旗≠ェあるが
京都の街が燃える中でそんなに効果あったのかは疑問視している。
歴史は勝者側から語られるもので、岩倉具視んぼ自己アピールに
すぎないと考えている。

城下町はこの先だな。

さて、奥州街道から城下へ入るとしよう。

今年は注目されてるしやり時だよね。

笑ってる?

やっぱ、城下町の道はまっすぐじゃね〜よな〜。

さて。

至って街中の片隅だけど。

そうか・・。
手をあわせていこう。

こりゃ〜堀として機能していたんだろう。

なんかある。

手をあわせて。

字に迷いがない。

城下町だ。

お〜城下町ならではだね。

この文字体すきなんだよね〜。

もう1本、お城側の道へはいってみた。

ここはむ1本お城側というかJR近くのみち、
メインストリートではないけど。

タバコ屋さんやってたんだな。

おっと、そろそろホテルへ戻って出発せねば。

西郷って西郷隆盛のイメージあるけど・・。
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