郡山市小原田を散歩|俳優西田敏行さんが生まれ育った郡山の風景とは
(2024年5月に散歩)
朝、ホテルを出発。
今日は郡山市出身の俳優・西田敏行さんの生まれ育った
街並を散歩。
渋滞してるな〜。
この道は郡山駅からまっすぐのメインストリート。
西田敏行さんが住んでいた場所はここから
徒歩30分はあるかな・・。
都会の中にこういう公園があるといいよな〜。
近くに住んでいると人にとっては自分の庭みたいにつかえていいよな〜。
福島県ではいまでも放射能の測定器をみかける。
なかなかの景色。
キジなんているかよ。
と思っていたら、まさか!!この日郊外でみかけた(笑)
いるんだ〜。
郡山は明治時代に開拓された、それまでは荒れ地だったそうだ。
水がなかったのだ。猪苗代湖から水をひいてこの土地を
住める土地にした。
この国家事業は武士の仕事としての役割も果たした。
元二本松藩の藩士がこの土地に移住してこの事業に
携わったそうだ。
ちなみに我が家は米沢にルーツがあり
この時代に米沢から移住したらしい。
米沢の城の門前で米を扱っていたとか。
よめね〜よな。
ちと多くね?
こういうローカルな看板すきだわ。
信用金庫とかも。
なにもみえないけど、みえちゃいけないものがみるのか?
おもしろい建物だけど焼き肉はうまいのかが気になる。
残念ながらもうやっていないようだ。
天狗とは珍しい。
ここが。
あれ、腫れ物だったのか。
安倍晴明がここにきたのかねぇ〜
記録jに残っているらしいかな間違いないか。
ここから東北本線を須賀川方向へ南下、歩いたわ〜。
西田敏行さんはインタービューで
小さい頃に自宅近くのこの線路に耳をあて
電車がちかづいてくるのを楽しみにしてたそうで
この先に東京≠ェあるんだって。
ものごごろついて無謀にも電車にのって上野までいったら
警察官に補導され、翌日お母さんが上野までむかえに
きたと語っていました。
自分も小さい頃は母に上野駅までおくってもらい
妹といっしょに郡山駅まで。
そうすると郡山のおじさん、おばさんが駅のホームで
待っててくれて。
そろそろだ。
小原田。
小原田(こはらだ)。
ここは俳優さんの西田敏行さんが生まれ育った街なのだ。
中学を卒業してから状況。
そういや〜鉛筆をつかってねぇ〜な〜。
そうとは限らないな〜
あ〜いやなことをずいぶんいわれ
最期まで上からで一方的だった。
他人ならぶっ壊れている人間関係も
まぁ親だからってところで・・・妹もまいっていたが。
白い桜か。
見た目は薬医門、なんとも空に映える門だな。
wikiによると西田さんの郵便局にお勤め(ここ?)のお父さんは早く亡くなり
母が再婚したことで母方の伯父に育てられたとのこと。
ちょっと前の写真だけど西田敏行さんが伯父さんといっしょにきていた
映画館はここで間違いない。
親戚のねぇちゃんにきいたけど郡山には
あとにも先にもここしか映画館はない(笑)
さてここだ。
新築の蔵だ。
香久山(かぐや)神社だ。
ネット情報だけど西田敏行さん家族はこの神社の社務所に
住んでいたらしい。なかなか生活が厳しかったようだ。
現在の社務所かな。
西田さんだけではないのだ。
我が母の実家もお寺から土地を借り、
あばら屋で8人兄弟、たいへんだったらしい。。
米軍に爆撃された後に残る鉄くずを拾って
お金にかえて生活の足しにしていたそうだ。
今でもお寺から土地借りてるし、当時の値段で(笑)
よくB29からの爆撃があったそうだ。
この土地の近くに当時紡績工場があり、軍用品をつくっていたのだ。
母や親戚からこの紡績会社の敷地に死体の山があり
こわかったという話をきかされていた。
つい最近までこの工場の見事なレンガ壁が残っていたのだが
もうない・・・残念。
米軍はこの地方の地方の軍事施設すら情報をしっていたのだろうか?
長岡や郡山など地方の街まで爆撃したのだ。
米軍は日本人をこの世から殲滅することが方針だったのだろうか。
すぐとなりには西田さんが通っていた小学校がある。
ここまでくるとストーカーか?
先日、『青春18×2』という映画をみたが
すきな人が生まれ育った街をみたくなるものかな。
その映画では只見でした。
西田敏行さんが出演した 『ナミヤ雑貨店の奇蹟』
この作品の監督廣木 隆一さんだ。
成人映画を得意としていた監督がこの作品を
よく引き受けたな〜。
同郷の西田敏行さんが主演の人だったからだろうか。
『ナミヤ雑貨店の奇蹟』は大分県豊後高田で
ほぼ全編撮影された。
人気作家・東野圭吾さんの作品。
涙を誘う作品を作りに入った感はあるが
映画はどのシーンも画になるいいシーンばかりだった。
映像と物語の表現にこだわりがある作品で
ついついDVDを買ってしまった、ちゅうこだけど(笑)
またおもしろい街名で。
もう2時間近く散歩してる。
なんて鳥だろ。
教科書にない歴史があり、偉人がいるのだ。
郡山は奥州街道の宿場町であったが、この開成山のあたりは
水がなく荒れ地だったのだ。
この開拓に武士が動員され、おもに移住してきたのは
お近くの二本松藩の藩士。
この偉人は米沢からか・・・。
じつは我が家も米沢からの移住組なのだ。
母が亡くなったときに戸籍を洗ったのだがやはりルーツは米沢だった。
名門・安積高校の歴史建築物は改装工事中だった。
なるほど、鹿鳴館的な・・・。
ずいぶん背の高い門だな、この高さは楼門クラスだ。
絵になるわ〜。
さてここは西田敏行さんの小原田からは自転車で30分はかかるであろう
郡山市役所だ。
西田敏行さんの養父の家系は薩摩藩士だそうで・・・
この会津に近いこの郡山に薩摩藩か・・・ちと想うところはあるが。
そして養父はこの郡山市役所に勤務されていたそうだ。
郡山の安積疎水の事業は
武士が武士の世の中をこわしたという事実に気づきはじめ
不平武士を公共事業に動員したのだ。
全国から武士が集まったというが、その一人かもしれない。
さて、今日は郡山市役所の裏にある焼き肉屋さんで
本家のお姉さんとランチ。2時間くらい二人でしゃべった。
本家はここから近く、思い出がいっぱいの大きな屋敷だ。
福島名産の薄皮まんじゅうの箱をつくる中小企業で
家が作業場をかねている。
今でもねぇちゃんが継いでやっている。
紙とにかわのノリの匂いがして、高価な紙の切れ端がおちていたので
よく拾い集めていた。
夏休みは1ヶ月くらいこの本家で過ごしていた。
終わると母が迎えに来て東京へ帰るのだが
分かれるのがつらくて郡山駅のホームで上野行きの電車に
のって自分は大泣き、おじさんは涙をこらえ、おばさんは
大粒の涙で手を振って見送ってくれた。
そのおじさんとおばさんがここ数年で亡くなった。
おじさんには誕生日にグローブを要望したら
なぜかキャッチャーミットを買ってくれた。
ピッチャーだっていっておいたのに(笑)
おばさんは自分が小さい時からおばさんで・・・
いつまでたってもおばさんで歳をとらないから宇宙人かと思いきや
2024年3月に老衰でなくなった。人間だったんだ・・・。
よく大きいトマトをまるごと、これがうまくって。
おかげで今でも青い熟していないトマトが好き。
さて、ここいらで終わり。
★2024年10月17日に西田敏行が永眠されました。
謹んでお悔やみ申し上げます★
西田敏行さんは車イス使用などやや体調不良のようでしたが
まだまだ活躍されると思っていました。
スクリーンだけでなく一度生でみてみたかった。
朝、ホテルを出発。
今日は郡山市出身の俳優・西田敏行さんの生まれ育った
街並を散歩。
渋滞してるな〜。
この道は郡山駅からまっすぐのメインストリート。
西田敏行さんが住んでいた場所はここから
徒歩30分はあるかな・・。
都会の中にこういう公園があるといいよな〜。
近くに住んでいると人にとっては自分の庭みたいにつかえていいよな〜。
福島県ではいまでも放射能の測定器をみかける。
なかなかの景色。
キジなんているかよ。
と思っていたら、まさか!!この日郊外でみかけた(笑)
いるんだ〜。
郡山は明治時代に開拓された、それまでは荒れ地だったそうだ。
水がなかったのだ。猪苗代湖から水をひいてこの土地を
住める土地にした。
この国家事業は武士の仕事としての役割も果たした。
元二本松藩の藩士がこの土地に移住してこの事業に
携わったそうだ。
ちなみに我が家は米沢にルーツがあり
この時代に米沢から移住したらしい。
米沢の城の門前で米を扱っていたとか。
よめね〜よな。
ちと多くね?
こういうローカルな看板すきだわ。
信用金庫とかも。
なにもみえないけど、みえちゃいけないものがみるのか?
おもしろい建物だけど焼き肉はうまいのかが気になる。
残念ながらもうやっていないようだ。
天狗とは珍しい。
ここが。
あれ、腫れ物だったのか。
安倍晴明がここにきたのかねぇ〜
記録jに残っているらしいかな間違いないか。
ここから東北本線を須賀川方向へ南下、歩いたわ〜。
西田敏行さんはインタービューで
小さい頃に自宅近くのこの線路に耳をあて
電車がちかづいてくるのを楽しみにしてたそうで
この先に東京≠ェあるんだって。
ものごごろついて無謀にも電車にのって上野までいったら
警察官に補導され、翌日お母さんが上野までむかえに
きたと語っていました。
自分も小さい頃は母に上野駅までおくってもらい
妹といっしょに郡山駅まで。
そうすると郡山のおじさん、おばさんが駅のホームで
待っててくれて。
そろそろだ。
小原田。
小原田(こはらだ)。
ここは俳優さんの西田敏行さんが生まれ育った街なのだ。
中学を卒業してから状況。
そういや〜鉛筆をつかってねぇ〜な〜。
そうとは限らないな〜
あ〜いやなことをずいぶんいわれ
最期まで上からで一方的だった。
他人ならぶっ壊れている人間関係も
まぁ親だからってところで・・・妹もまいっていたが。
白い桜か。
見た目は薬医門、なんとも空に映える門だな。
wikiによると西田さんの郵便局にお勤め(ここ?)のお父さんは早く亡くなり
母が再婚したことで母方の伯父に育てられたとのこと。
ちょっと前の写真だけど西田敏行さんが伯父さんといっしょにきていた
映画館はここで間違いない。
親戚のねぇちゃんにきいたけど郡山には
あとにも先にもここしか映画館はない(笑)
さてここだ。
新築の蔵だ。
香久山(かぐや)神社だ。
ネット情報だけど西田敏行さん家族はこの神社の社務所に
住んでいたらしい。なかなか生活が厳しかったようだ。
現在の社務所かな。
西田さんだけではないのだ。
我が母の実家もお寺から土地を借り、
あばら屋で8人兄弟、たいへんだったらしい。。
米軍に爆撃された後に残る鉄くずを拾って
お金にかえて生活の足しにしていたそうだ。
今でもお寺から土地借りてるし、当時の値段で(笑)
よくB29からの爆撃があったそうだ。
この土地の近くに当時紡績工場があり、軍用品をつくっていたのだ。
母や親戚からこの紡績会社の敷地に死体の山があり
こわかったという話をきかされていた。
つい最近までこの工場の見事なレンガ壁が残っていたのだが
もうない・・・残念。
米軍はこの地方の地方の軍事施設すら情報をしっていたのだろうか?
長岡や郡山など地方の街まで爆撃したのだ。
米軍は日本人をこの世から殲滅することが方針だったのだろうか。
すぐとなりには西田さんが通っていた小学校がある。
ここまでくるとストーカーか?
先日、『青春18×2』という映画をみたが
すきな人が生まれ育った街をみたくなるものかな。
その映画では只見でした。
西田敏行さんが出演した 『ナミヤ雑貨店の奇蹟』
この作品の監督廣木 隆一さんだ。
成人映画を得意としていた監督がこの作品を
よく引き受けたな〜。
同郷の西田敏行さんが主演の人だったからだろうか。
『ナミヤ雑貨店の奇蹟』は大分県豊後高田で
ほぼ全編撮影された。
人気作家・東野圭吾さんの作品。
涙を誘う作品を作りに入った感はあるが
映画はどのシーンも画になるいいシーンばかりだった。
映像と物語の表現にこだわりがある作品で
ついついDVDを買ってしまった、ちゅうこだけど(笑)
またおもしろい街名で。
もう2時間近く散歩してる。
なんて鳥だろ。
教科書にない歴史があり、偉人がいるのだ。
郡山は奥州街道の宿場町であったが、この開成山のあたりは
水がなく荒れ地だったのだ。
この開拓に武士が動員され、おもに移住してきたのは
お近くの二本松藩の藩士。
この偉人は米沢からか・・・。
じつは我が家も米沢からの移住組なのだ。
母が亡くなったときに戸籍を洗ったのだがやはりルーツは米沢だった。
名門・安積高校の歴史建築物は改装工事中だった。
なるほど、鹿鳴館的な・・・。
ずいぶん背の高い門だな、この高さは楼門クラスだ。
絵になるわ〜。
さてここは西田敏行さんの小原田からは自転車で30分はかかるであろう
郡山市役所だ。
西田敏行さんの養父の家系は薩摩藩士だそうで・・・
この会津に近いこの郡山に薩摩藩か・・・ちと想うところはあるが。
そして養父はこの郡山市役所に勤務されていたそうだ。
郡山の安積疎水の事業は
武士が武士の世の中をこわしたという事実に気づきはじめ
不平武士を公共事業に動員したのだ。
全国から武士が集まったというが、その一人かもしれない。
さて、今日は郡山市役所の裏にある焼き肉屋さんで
本家のお姉さんとランチ。2時間くらい二人でしゃべった。
本家はここから近く、思い出がいっぱいの大きな屋敷だ。
福島名産の薄皮まんじゅうの箱をつくる中小企業で
家が作業場をかねている。
今でもねぇちゃんが継いでやっている。
紙とにかわのノリの匂いがして、高価な紙の切れ端がおちていたので
よく拾い集めていた。
夏休みは1ヶ月くらいこの本家で過ごしていた。
終わると母が迎えに来て東京へ帰るのだが
分かれるのがつらくて郡山駅のホームで上野行きの電車に
のって自分は大泣き、おじさんは涙をこらえ、おばさんは
大粒の涙で手を振って見送ってくれた。
そのおじさんとおばさんがここ数年で亡くなった。
おじさんには誕生日にグローブを要望したら
なぜかキャッチャーミットを買ってくれた。
ピッチャーだっていっておいたのに(笑)
おばさんは自分が小さい時からおばさんで・・・
いつまでたってもおばさんで歳をとらないから宇宙人かと思いきや
2024年3月に老衰でなくなった。人間だったんだ・・・。
よく大きいトマトをまるごと、これがうまくって。
おかげで今でも青い熟していないトマトが好き。
さて、ここいらで終わり。
★2024年10月17日に西田敏行が永眠されました。
謹んでお悔やみ申し上げます★
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まだまだ活躍されると思っていました。
スクリーンだけでなく一度生でみてみたかった。
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