名張を散歩|初瀬街道の宿場町名張は江戸川乱歩とチャンクァイが有名
(2021年1月に散歩)
名張に到着、榛原、宇陀松山を散歩してこの街に降り立ったのは・・・
江戸川乱歩がこの街の出身者だからではない。
っていうか、江戸川乱歩はここ出身なんだ。
今回はこれを使って3日間の散歩旅。
3日間近鉄乗り放題で3000円!これは心置きなく、ときどき降りながら散歩できる。
なかなか木造の歴史ある近鉄名張駅。
名張出身で著名人といえば、江戸川乱歩、チャンカワイ、平井堅(生まれは東大阪)、
サッカー選手山口蛍、チャンカワイさんは名張市の観光大使。
三重県を中心としたローカル散歩番組がなかなかおもしろかった。
さて散歩をはじめよう。
駅からすぐ神社がでてきた。
これでウルフシネ神社と読む・・・音だけきくと外国語のようだが。
屋根にお城のような破風がある、みたことあったっけ。
木造建築は火災が怖いので水関係を表すものが多い。
宇奈根命(うなねのみこと)はきいたことがない。
どうやら地元の神さまらしく、水がうねるからきているらしい。
すぐそばに名張川がある。
最近は川の近くに住むのも心配だな・・・。
川を渡ってしばらく歩くと畑の中に不思議な建物が・・・
奈良方面から近鉄線で名張駅に到着着前にこの建物がみえたので
みにきたというわけ。
電車だと一瞬だけど、歩くとそれなりの距離だった。
当たり前だが。
唐様の建物で、入り口が各面にあるようだ。
なにかきっといわれがある塔なのだろう。
さて、川を渡って戻って、名張の町中を散歩してみよう。
そんなにおおきな山ではないけど、盆地だな。
なかなかいい感じの街並みだ・・古い建物が残っている。
なるほど〜そういう歴史をもった地区ね。
七福神って踊るんだっけ(笑)
浅草寺でもやっているらしい。
あんまり聞いたことないけど楽しそうだね、ちょっとした仮装行列?
どうやら節分のときにやるらしいから、練り歩くというよりは豆をまくのかな〜。
実家は商店街だから、自分が小さいときは<ちんどん屋>というのをよくみた。
歌舞伎役者のような恰好と白塗りの女性とかがにぎやかに音楽と踊りで
練り歩くのだ、どこかの新装開店とかの広告だったようだが。
物珍しさと怖さがあった(>_<)/コエ-
栄林寺・・天正伊賀の乱も焼失せずに残った。
天正伊賀の乱は織田軍vs地元住人が自治をする伊賀国が戦った。
一度は織田軍を退けたが、2度目は大軍で圧倒された。
伊賀忍者は徳川に召し抱えられたそうだ。
初瀬街道は松阪市六軒から青山峠を越え、名張を経て
奈良県の初瀬(長谷)へと至る街道でこの街道沿いに古い街並みが残っている。
こりゃ散歩し甲斐があるっしょ。
昭和風にいうとロマンティックが止まらないって感じかな。
江戸川乱歩の誕生地だ。
ただ、生まれてすぐに津に引っ越したようだ。
もともと藤堂家につかえる武士の家系。
鳥羽の造成会社に就職したが、2年弱で退社、その後作家のみちへ。
そういえば鳥羽に江戸川乱歩関連のものがあったな〜 → 鳥羽散歩
江戸川乱歩といえば怪人二十面相と少年探偵団だ。
このテレビはリアルに怖くって、ときどき物陰に隠れてみてた(笑
7人7人それえばくじけはしない♪(^o^)丿
BD7のBDはBOYS DETECTIVESの略。
古い街にはお寺が多い。
お寺といえば、歴史上つむ散歩に影響する大事件が明治初期にあった。
明治政府がきっかけをつくった<廃仏毀釈>という仏教文化破壊活動だ。
これがなければつむ散歩の散歩はもっと神社仏閣をみることができたのだ。
きっかけは「神仏分離令」と「大教宣布」にある。
これは薩摩・長州が建前上<尊王>というながれから神道を重視したことからだろう。
神道を国教と位置付け、仏教は外来ものとしたのだ。
これを後ろ盾に仏教弾圧がおきた。
それまで神仏習合という日本独特の宗教秩序が成り立っていた。
日本中で仏像やお寺を壊す運動がおきた、破壊され、薪にされた。
散歩をしているとときどき仏像を隠したなどの歴史に遭遇する。
鹿児島には仏像など指定文化財がないらしい・・。
おっと薬医門だ。
昭和の商店街か。
こういうアーケードをつくったのはいいが、もう修繕する力はないだろうな・・。
しかし、軽自動車がすごい勢いで通る・・あぶね〜。
いい街並みなんだけどね。
大きな鳥居だこと。
最初の神社につながる鳥居だ。
このあたりが街の中心で宿場町として機能していたようだ。
さて左の榊町通りから攻めるか(笑)
歴史ある薬屋さんだな。
さて散歩。
この銭湯やってるかな〜。
この辺りは川向こうに黒田城という伊賀の国側の城があったが
織田軍によって落城。城主は討ち死に。
もう少し北に短野城があり、ここは筒井順慶の城だ。
この建物も立派だな〜。
狭い路地の事を「ひやわい」という独特な言葉がある。
庇と庇が重なり合うほど狭い路地という意味らしい、なんとも庶民的な表現だ。
おっとこんなところにも銭湯か。
実家近くにあった銭湯は2つともなくなった。
戦前からの建物か。
そうですか・・。
さて近鉄にのって移動。
さて今夜は津に泊まることにした。
まずはおでんをいくつか。
味はよかったのだが、店員さんがいちゃついていて会話が丸聞こえ・・・
あ〜聞きたくない( 一一)/
ホテルへ帰って寝よっと。
ホテルで地元のお酒をちょいいただき。
名張に到着、榛原、宇陀松山を散歩してこの街に降り立ったのは・・・
江戸川乱歩がこの街の出身者だからではない。
っていうか、江戸川乱歩はここ出身なんだ。
今回はこれを使って3日間の散歩旅。
3日間近鉄乗り放題で3000円!これは心置きなく、ときどき降りながら散歩できる。
なかなか木造の歴史ある近鉄名張駅。
名張出身で著名人といえば、江戸川乱歩、チャンカワイ、平井堅(生まれは東大阪)、
サッカー選手山口蛍、チャンカワイさんは名張市の観光大使。
三重県を中心としたローカル散歩番組がなかなかおもしろかった。
さて散歩をはじめよう。
駅からすぐ神社がでてきた。
これでウルフシネ神社と読む・・・音だけきくと外国語のようだが。
屋根にお城のような破風がある、みたことあったっけ。
木造建築は火災が怖いので水関係を表すものが多い。
宇奈根命(うなねのみこと)はきいたことがない。
どうやら地元の神さまらしく、水がうねるからきているらしい。
すぐそばに名張川がある。
最近は川の近くに住むのも心配だな・・・。
川を渡ってしばらく歩くと畑の中に不思議な建物が・・・
奈良方面から近鉄線で名張駅に到着着前にこの建物がみえたので
みにきたというわけ。
電車だと一瞬だけど、歩くとそれなりの距離だった。
当たり前だが。
唐様の建物で、入り口が各面にあるようだ。
なにかきっといわれがある塔なのだろう。
さて、川を渡って戻って、名張の町中を散歩してみよう。
そんなにおおきな山ではないけど、盆地だな。
なかなかいい感じの街並みだ・・古い建物が残っている。
なるほど〜そういう歴史をもった地区ね。
七福神って踊るんだっけ(笑)
浅草寺でもやっているらしい。
あんまり聞いたことないけど楽しそうだね、ちょっとした仮装行列?
どうやら節分のときにやるらしいから、練り歩くというよりは豆をまくのかな〜。
実家は商店街だから、自分が小さいときは<ちんどん屋>というのをよくみた。
歌舞伎役者のような恰好と白塗りの女性とかがにぎやかに音楽と踊りで
練り歩くのだ、どこかの新装開店とかの広告だったようだが。
物珍しさと怖さがあった(>_<)/コエ-
栄林寺・・天正伊賀の乱も焼失せずに残った。
天正伊賀の乱は織田軍vs地元住人が自治をする伊賀国が戦った。
一度は織田軍を退けたが、2度目は大軍で圧倒された。
伊賀忍者は徳川に召し抱えられたそうだ。
初瀬街道は松阪市六軒から青山峠を越え、名張を経て
奈良県の初瀬(長谷)へと至る街道でこの街道沿いに古い街並みが残っている。
こりゃ散歩し甲斐があるっしょ。
昭和風にいうとロマンティックが止まらないって感じかな。
江戸川乱歩の誕生地だ。
ただ、生まれてすぐに津に引っ越したようだ。
もともと藤堂家につかえる武士の家系。
鳥羽の造成会社に就職したが、2年弱で退社、その後作家のみちへ。
そういえば鳥羽に江戸川乱歩関連のものがあったな〜 → 鳥羽散歩
江戸川乱歩といえば怪人二十面相と少年探偵団だ。
このテレビはリアルに怖くって、ときどき物陰に隠れてみてた(笑
7人7人それえばくじけはしない♪(^o^)丿
BD7のBDはBOYS DETECTIVESの略。
古い街にはお寺が多い。
お寺といえば、歴史上つむ散歩に影響する大事件が明治初期にあった。
明治政府がきっかけをつくった<廃仏毀釈>という仏教文化破壊活動だ。
これがなければつむ散歩の散歩はもっと神社仏閣をみることができたのだ。
きっかけは「神仏分離令」と「大教宣布」にある。
これは薩摩・長州が建前上<尊王>というながれから神道を重視したことからだろう。
神道を国教と位置付け、仏教は外来ものとしたのだ。
これを後ろ盾に仏教弾圧がおきた。
それまで神仏習合という日本独特の宗教秩序が成り立っていた。
日本中で仏像やお寺を壊す運動がおきた、破壊され、薪にされた。
散歩をしているとときどき仏像を隠したなどの歴史に遭遇する。
鹿児島には仏像など指定文化財がないらしい・・。
おっと薬医門だ。
昭和の商店街か。
こういうアーケードをつくったのはいいが、もう修繕する力はないだろうな・・。
しかし、軽自動車がすごい勢いで通る・・あぶね〜。
いい街並みなんだけどね。
大きな鳥居だこと。
最初の神社につながる鳥居だ。
このあたりが街の中心で宿場町として機能していたようだ。
さて左の榊町通りから攻めるか(笑)
歴史ある薬屋さんだな。
さて散歩。
この銭湯やってるかな〜。
この辺りは川向こうに黒田城という伊賀の国側の城があったが
織田軍によって落城。城主は討ち死に。
もう少し北に短野城があり、ここは筒井順慶の城だ。
この建物も立派だな〜。
狭い路地の事を「ひやわい」という独特な言葉がある。
庇と庇が重なり合うほど狭い路地という意味らしい、なんとも庶民的な表現だ。
おっとこんなところにも銭湯か。
実家近くにあった銭湯は2つともなくなった。
戦前からの建物か。
そうですか・・。
さて近鉄にのって移動。
さて今夜は津に泊まることにした。
まずはおでんをいくつか。
味はよかったのだが、店員さんがいちゃついていて会話が丸聞こえ・・・
あ〜聞きたくない( 一一)/
ホテルへ帰って寝よっと。
ホテルで地元のお酒をちょいいただき。
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