亀山を散歩|東海道の亀山宿と日本武尊妃・弟橘媛がいた忍山神社
(2020年元旦に散歩)
二度目の紹介になるが、いきものがかりの水野さんの本は毎日読んでる。
本を開くたびに彼と会話をしているようだ。
クリスマスの約束というTV番組をしっているだろうか。
20分以上のメドレー、観客は5000人、テレビを見ている人は何万人だろうか。
その一場面を水野さんはこう感じていたそうだ。
「(略)めいいっぱいに膨らんでしまった期待感のかたまりが、一気にステージに
押し寄せて僕らを押しつぶそうとしていたのがわかる。
その空気をいったい誰が受け止められるというのだ。そう思った直後、
ひとりの男性がゆっくりと前に歩みだした。
なにひとつ慌てることはない。自分がそこに立つことは当然であるというように堂々と、
そしてゆっくりと、その人は歩きだした。メインマイクの前に立ち、観客すべての視線を
悠然と受け止めて、彼は大きく手を広げた。」
『いきものがたり』水野良樹著P370
さてその男性とはだれのことでしょう。
まぁそれはどうでもよく、この緊張感の表現力は素晴らしい。
もう引き込まれてしまって(笑)
そんで、男性はかくありたいですな。
<自分がそこにいることは当然であるという>雰囲気。
仕事をしていてもアウェイに押しつぶされそうになることもある。
まだまだ肝がすわってね〜な(笑)
津を散歩してから、亀山へきた。
亀山っていうとシャープの工場があってテレビの液晶パネルかなにかで有名か。
駅前に鳥居があるのが。
大きな神社があるのか。
10分くらい歩くと・・。
旧東海道があらわれた・・雰囲気あるな〜。
ここは亀山宿という東海道の宿場町だ。
京都側に向かうと次が関宿となる。
亀山城というのがあるそうだ、手前の楼門だけが残っている。
江戸時代に、幕命で丹波亀山城の天守の解体を命じられたのに
間違ってこの亀山城の天守が解体されるという珍事件がおきている。
それとこの城には徳川家の宿所になっており、家康、秀忠など宿泊している。
よくあることだが天守跡あたりは神社になっている。
亀山城でとりあえげたい城主は岡本良勝、織田信孝の家老だ。
関ケ原の戦いで西軍に味方し、後日降伏したが許されず切腹。
息子の重義も亀山城をでたが、水口で自刃、12歳・・・。
教科書に書いていない歴史があるのだ。
さて東海道に戻った。
旧街道はくねくねなどいい感じだ。
珍しいな門から本殿へいくのに下がるのか(笑)
笹龍胆・・・笹ね。
さて本殿まで下ってきました。
笹なんとかってこれだな。
石川藩の家紋か。
こっちはなんだろ、家紋か寺紋のようなでデザインだが
伊達の家紋の雀ににてるけど・・・あまりにも素行が悪そうな雀だな(笑)
こわっ、こりゃ古い面だな。
おっと珍しい。
残ってるもんだね〜。
手間の石箱のようなものはなんだかわからなかった。
お墓ではないようで、何かと祭っているのか。
関宿にむかって街並みは続くのか。
亀山宿は観光地化はされているようで、リアルな住宅として現存しているようだ。
東海道をたどって甲賀のあたりもいってみたいけど、ちょっと車がないとって
ところみたいだな〜バスもと通っていなようだ。
最近は過疎でバスもなくなってきてるからな。
お寺もところどころに出てくる。
旅人は安全の祈願と宿泊施設として利用したのだろうか。
旅の途中で亡くなる人もあったと聞くが。
両方間違っていることもある。
さて東海道を左におれて南へ、陽が傾いてるな〜。
忍山(おしやま)神社。
きてしまったこの神社に・・東京からではまず簡単にこれない。
神社やお寺の名前は、それは立派な、意味深なお名前が多い中で
この地味な名前・・・それだけに歴史があるのだ。
<式内社>と聞きなれない言葉がある。
これは927年にまとめられた延喜式という公文書(延喜式神名帳)で
その時に公に神社として認識されたということかな。
まぁ神社の格付けのことはわからないが、すくなくともその時代にはあったということでしょうな。
さて、ここの神主さんの長女が注目なのだ。
その名を弟橘媛(おとたちばな)という。
日本武尊(第12代天皇・景光天皇の息子)の妃だ。
※妃は5〜6人いたようだ。
日本武尊は景行天皇(在位西暦71〜130年)に命で各地を遠征したが
ここに立ち寄ったときに、一目ぼれ?かどうかはわからないが妻にした。
妃となった弟橘媛を同行させた。
2000年近く前の話でわからないが、戦場に妻を同行させるというのは
どうなのかな〜。9男を生んだといわれえる。
さて、日本武尊の乗った船は嵐に会い(横須賀)、弟橘媛は海に身を投げて鎮めた。
妃の衣が流れついた場所が地名に残っている<袖ヶ浦>。
日本武尊はしばらく木更津にとどまり、吾妻(我が妻)よと悲しんだとか。
関東を東(あずま)の国といったが、もともと吾妻(あずま)が語源ともいわれる。
また、妻を恋しく思ったところが嬬恋村(妻が恋しい・・つまごいむら/長野県)。
やっとコンビニが1軒あった。
さて、忘れられない年末年始になった。
家へかえってゆっくり休もう。
二度目の紹介になるが、いきものがかりの水野さんの本は毎日読んでる。
本を開くたびに彼と会話をしているようだ。
クリスマスの約束というTV番組をしっているだろうか。
20分以上のメドレー、観客は5000人、テレビを見ている人は何万人だろうか。
その一場面を水野さんはこう感じていたそうだ。
「(略)めいいっぱいに膨らんでしまった期待感のかたまりが、一気にステージに
押し寄せて僕らを押しつぶそうとしていたのがわかる。
その空気をいったい誰が受け止められるというのだ。そう思った直後、
ひとりの男性がゆっくりと前に歩みだした。
なにひとつ慌てることはない。自分がそこに立つことは当然であるというように堂々と、
そしてゆっくりと、その人は歩きだした。メインマイクの前に立ち、観客すべての視線を
悠然と受け止めて、彼は大きく手を広げた。」
『いきものがたり』水野良樹著P370
さてその男性とはだれのことでしょう。
まぁそれはどうでもよく、この緊張感の表現力は素晴らしい。
もう引き込まれてしまって(笑)
そんで、男性はかくありたいですな。
<自分がそこにいることは当然であるという>雰囲気。
仕事をしていてもアウェイに押しつぶされそうになることもある。
まだまだ肝がすわってね〜な(笑)
津を散歩してから、亀山へきた。
亀山っていうとシャープの工場があってテレビの液晶パネルかなにかで有名か。
駅前に鳥居があるのが。
大きな神社があるのか。
10分くらい歩くと・・。
旧東海道があらわれた・・雰囲気あるな〜。
ここは亀山宿という東海道の宿場町だ。
京都側に向かうと次が関宿となる。
亀山城というのがあるそうだ、手前の楼門だけが残っている。
江戸時代に、幕命で丹波亀山城の天守の解体を命じられたのに
間違ってこの亀山城の天守が解体されるという珍事件がおきている。
それとこの城には徳川家の宿所になっており、家康、秀忠など宿泊している。
よくあることだが天守跡あたりは神社になっている。
亀山城でとりあえげたい城主は岡本良勝、織田信孝の家老だ。
関ケ原の戦いで西軍に味方し、後日降伏したが許されず切腹。
息子の重義も亀山城をでたが、水口で自刃、12歳・・・。
教科書に書いていない歴史があるのだ。
さて東海道に戻った。
旧街道はくねくねなどいい感じだ。
珍しいな門から本殿へいくのに下がるのか(笑)
笹龍胆・・・笹ね。
さて本殿まで下ってきました。
笹なんとかってこれだな。
石川藩の家紋か。
こっちはなんだろ、家紋か寺紋のようなでデザインだが
伊達の家紋の雀ににてるけど・・・あまりにも素行が悪そうな雀だな(笑)
こわっ、こりゃ古い面だな。
おっと珍しい。
残ってるもんだね〜。
手間の石箱のようなものはなんだかわからなかった。
お墓ではないようで、何かと祭っているのか。
関宿にむかって街並みは続くのか。
亀山宿は観光地化はされているようで、リアルな住宅として現存しているようだ。
東海道をたどって甲賀のあたりもいってみたいけど、ちょっと車がないとって
ところみたいだな〜バスもと通っていなようだ。
最近は過疎でバスもなくなってきてるからな。
お寺もところどころに出てくる。
旅人は安全の祈願と宿泊施設として利用したのだろうか。
旅の途中で亡くなる人もあったと聞くが。
両方間違っていることもある。
さて東海道を左におれて南へ、陽が傾いてるな〜。
忍山(おしやま)神社。
きてしまったこの神社に・・東京からではまず簡単にこれない。
神社やお寺の名前は、それは立派な、意味深なお名前が多い中で
この地味な名前・・・それだけに歴史があるのだ。
<式内社>と聞きなれない言葉がある。
これは927年にまとめられた延喜式という公文書(延喜式神名帳)で
その時に公に神社として認識されたということかな。
まぁ神社の格付けのことはわからないが、すくなくともその時代にはあったということでしょうな。
さて、ここの神主さんの長女が注目なのだ。
その名を弟橘媛(おとたちばな)という。
日本武尊(第12代天皇・景光天皇の息子)の妃だ。
※妃は5〜6人いたようだ。
日本武尊は景行天皇(在位西暦71〜130年)に命で各地を遠征したが
ここに立ち寄ったときに、一目ぼれ?かどうかはわからないが妻にした。
妃となった弟橘媛を同行させた。
2000年近く前の話でわからないが、戦場に妻を同行させるというのは
どうなのかな〜。9男を生んだといわれえる。
さて、日本武尊の乗った船は嵐に会い(横須賀)、弟橘媛は海に身を投げて鎮めた。
妃の衣が流れついた場所が地名に残っている<袖ヶ浦>。
日本武尊はしばらく木更津にとどまり、吾妻(我が妻)よと悲しんだとか。
関東を東(あずま)の国といったが、もともと吾妻(あずま)が語源ともいわれる。
また、妻を恋しく思ったところが嬬恋村(妻が恋しい・・つまごいむら/長野県)。
やっとコンビニが1軒あった。
さて、忘れられない年末年始になった。
家へかえってゆっくり休もう。
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