川越散歩|現存する川越城本丸御殿と喜多院散歩と地元武蔵野うどん
(2021年GWに散歩)
これは何年か前のポスター。
コロナでマラソンも中止か、小江戸川越らしいポスターでしょ。
江戸時代の飛脚イメージだな、とってもおもしろい。
実際江戸時代の人は今より足腰強かった段では。
さて久々の川越散歩だ。
車は大阪で処分してしまったのでチャリで。
まぁ20分くらいかな、平坦な道だし楽ちん。
妄想して田んぼに落ちないようにせねば。
道の駅によって川越野菜を、大根の季節か@130円。
ロールキャベツでもつくるか。
今のJR・東武川越駅は、かつての川越中心地から遠く離れた郊外にできた。
だから蔵の街は駅から30分位は歩くことになる。
自分の家は南古谷駅に近いから直接かつての中心地に向かうというわけだ。
さて現在地は道の駅だ。
ここから川越中心部に入ると、よく行くあたりにでる。
川越の街は室町時代の後期に太田道灌がつくった川越城がベースになっている。
ここは堀であった。
すがすがしい初夏の香だ。
右側に川越市立の博物館と美術館がある。
博物館はなかなか個性的で面白い。
川越初雁球場。
甲子園の予選会場になるくらいのまともな野球場だが、どうやら移転の計画が
持ち上がっている。地元の草野球チームが移転中止の署名活動をしているとか。
ここは川越草野球市民の聖地でもあるのだ。
三芳野神社の神社は太田道灌が川越城築城を祈願したところ。
そんでもって とぉ〜りゃんせとうりゃんせ♪という江戸時代から伝わる民謡は
ここが発祥だ。
「通りゃんせ」とは 「通ってもいい」という意味だ。
「行はよいよい帰りはこわい♪」
どうやら城内に隠密が入るのをチェックしていたようで
なにかを持ち出されるのを危惧してとくに帰っていく参拝者に
厳しい監視をしていたようだ。
この参道で「ここはどこの細道じゃ〜♪」って江戸時代の子供も
歌ってたんだな〜。
川越城本丸御殿がすぐそばにある。
これは貴重な御殿建築で1848年にできた。
明治維新後、大部分が解体されたがこの立派な玄関といくつかが残った。
有形文化財に指定されている。
川越の殿さまがリアルにここにいたのだ。
大広間など会議をここでしたのかという場所があったおもしろい。
川越城は天守はなく、この南にあった櫓が天守的な見映えであったらしい。
藩主は酒井忠勝・松平信綱(知恵伊豆)や柳沢吉保など
幕政の要職についた。
大沢たかおさん主演の「JINー仁」の何話目かはここでロケが
行われた。たしか名家のお姫様の顔に大きなコブができて
南方仁がこれを手術で取り除くという話だ。
珍しく地図の上が南になっている・・つくったの関西人では(笑)
右側にあるかぼちゃカラーのカフェによく週末に本をもって通っていた。
お気に入りの席があったのだ。
“あれ、今日はそっちの席でいいの?”なんてマスターにいわれたっけ。
マスターがつくるピザは絶品だ。
いかにも城の中にある交差点でしょ〜。
映画TV 『ウォーターボーイズ』 のモデルになった川越高校の男子シンクロ部が
活躍するプールだ。夏に通るとキョンキョンの学園天国が聞こえて
このすき間からちらっとみえる。
とても人気でチケットはとれない。
学校の窓から生徒もみていてとても盛り上がる。
とても優秀な学校。
楠木の巨木がすごいよね。
念のため早い時間に散歩、コロナで人はでてないでしょ。
ここは1階がカレーが名物で・・やってねーな。
ここは観光客がくるような場所じゃなくて地元民ようだから
GWはやってないかもね。
川越市役所と太田道灌像。
川越市役所にはいつもお世話になっている。
入るとみなさん起立して市民を迎える。
ここには<お役所仕事>という言葉はない。
この市役所前にある看板建築・全身銅板の建物は蕎麦屋さん、
たぶん初期だろうね〜(調べたところ昭和5年)
<手打そば百丈>
2階で食べたけど店内の雰囲気もよくて和風レトロだ。
たしか会津のそば粉を使っていたかな。
当初は釣り道具屋さんだった。
一度乗ったことあるけど混んでて無理無理。
このあたりは昭和の建物がおおいね。
昭和の戦闘もまだある。
そういえば実家の練馬にあった銭湯は2つとも閉店した残念だ。
「お宅の息子さん、銭湯でゆずなげていらそうよ」
・・・だれがチクったのか、親が激怒しておった。
ちょっとゆず湯で盛り上がっちまったのだ。
大根をほして漬物にするようだ。
柏餅の季節だ。
豆腐もいいけどさ〜。
柏餅でしょ〜。
ここは川越の料亭、結婚式とか、その二次会とかの会場になっているようだ。
朝の連ドラ 『翼』 (多部未華子さん主演) の舞台になった老舗の映画館。
大林宣彦監督の講演を最前列できいたのもここだ。
<お話をされる大林監督>
あれは『花筐(はながたみ)』の上映あとだった。
時間を大幅にオーバーしてもずっと話されてたな〜。
ツムじいさんの歩いた道?
この洋館レストラン<太陽軒>は何か記念日に利用しようかと思っているが。
昭和4年築。当初から洋食店で外観も竣工当時のまま(もちろん塗りなおしているけど)
店内もレトロな雰囲気らしい。
ここのコーヒーはほんとおいしい、それと店内が素敵ですわ。
喫茶店のお気に入りは3店舗がある、場所的にさっきのかぼちゃ色によく行くかな。
川越ラーメンという名物はなく、この店の自己主張。
いもは川越の名物なのだが、この店が使っている紫芋はみたことがない・・・。
ここで小江戸川越地ビールをカップで飲むのが地元流。
クラフトビールは濃くて美味しい。
川越の象徴・時の鐘。
寛永時代1624−1644川越藩主酒井忠勝によってつくられた。
今でも朝6時、正午、15時、18時に鐘がなる。
川越の蔵の街並みだ。
重厚な建物だよね〜。
なんせ火災が怖かった、壁はもえにくい材質とし、
火災が起きた場合はあのがっちりしたドアを閉めて
さらにすき間に味噌を塗って酸素を遮断したそうだ。
ここがメインストリート。
川越は小江戸といわれる。
川越藩主が江戸から帰ってきて川越城下をみて“小さな江戸のようだ”といったと伝わる。
石畳みの路地を入ると和柄の雑貨店。
奥でコーヒー店もあるがここもおいしい、それと美濃焼きのコーヒーカップで
いいものを売っている。もう10年使っている愛用品もここで買った。
品数は少ないけど店主との趣味嗜好があうのかな〜。
右側の前掛けをもっている、料理するとき、皿を洗う時はこれを使う。
あ〜あと川越でやるバーベキューでもよく使ってるな。
路地の突き当りに養寿院、1244年鎌倉武士の河越氏による。
河越重頼の墓がある、孫がつくった。
河越重頼は有力な御家人として用いられ、平家追討の源義経・範頼に従軍する。
源義経の妾・静御前は有名だが、正室は河越重頼の娘・郷御前だ。
郷御前はちゃんと京都の義経を追っている。京姫ともいわれる。
静御前は吉野で部下に預け京都に送っているが、途中で部下が裏切り
静御前は一文無しで京都へ、どうしようもない部下に預けたのか・・。
郷御前は奥州藤原氏まで運命をともにした。
源義経は衣川館の持仏堂で郷御前と娘を殺害し自害して果てている。
義経妻子のお墓は寄り添うようにある。
静御前のほうが本命だったような論調が多いが、冷静にみると正妻が本命かな〜。
義経と重頼の弟が後白河法皇から任官されたことで頼朝が激怒。
その後、河越重頼は長男とともに頼朝に誅殺される。
頼朝がもう少し懐が大きければ…見方を敵にすることもなかったろうに
挙句の果て正史『吾妻鏡』にも頼朝は馬から落ちて死んだという
武士としては最悪の屈辱を歴史に残し、北条氏に乗っ取られる・・・。
養寿院の目の前にあるうなぎ屋さん<いも重>。
そういえばうなぎは値段があがったな〜。
菓子屋横丁って江戸時代中期からやってるっていうから驚き桃の木山椒の木。
店の奥でつくってるのがみえる・・手作りだわ。
ここまでくると観光客はいない。
高澤橋…昔は石造りのアーチで眼鏡橋だったそうだ。
明治43年(1912年)の大雨で木っ端みじんに・・・。
橋向こうにお気に入りの蕎麦屋さんがある。
ちょっと前の写真で蕎麦をお見せしましょ。
女将と話したが、奥に蔵があり、ミニシアターでもしようかな〜
もしくは芸術作品でも展示するかとのこと。
復活してくれないかな〜。
水量が多いな。
今も川越市民の憩いの場だ。
この先に太田道灌の館跡地がある。
さらにもうちょっといくと桜がきれいな場所が。
⇒ 川越新河岸川の桜
蕎麦屋<中正屋>女将があーだこーだ書いてるな。
ここはできて10年もたっていないかな。
蔵があって映画でも上映しようかなんて話していたけど。
地元の店でGWはやってね〜。
ここはやっていることのほうが珍しい。
おやじさんは仏教彫刻で神輿などもつくるそうで
あまった重たい板で、まな板をつくってくれ格安で譲ってくれるのだ。
そりゃ数百年もつような硬い貴重な木材でまな板(笑)
もう何年つかってるかな〜。
台湾の知り合いに紹介したら大きいの2個買っていった。
よくもって帰ったな(笑)
なんていう花だろうかね。
さて買っていくか、道の駅もいいけどこういう地元のお店がいい。
大阪の阪急茨木駅ちかくにいい地元のお店があったよな〜。
あの店があるだけで近くに住みたくなる。
おっきいトマトだ。
つむっちは青いのすきだというと
おばちゃんは完熟系の真っ赤のが好きだって。
スライスしてオリーブオイルをかけて食べるのが好きだって。
おばちゃんやるな(笑)つむっちもやってみよっと(2個買いました@160円)
550円か、ちょうど西日を避けるための布が欲しかった。
この蕎麦屋さんもおいしい、天ぷらとかちょっと創作料理っぽくしてる。
昭和の夜の通りだけど、もうやっていないな〜。
さてメインストリートへ戻るとしよう。
埼玉の所沢がトトロのモデルになったところで、川越からもすぐそばだ。
ドライアイになっちゃうよ。
この醤油屋さんには何度かいってる。
お気に入りの看板だ。
この看板もいいでしょー・
もうちょっと角度をつけて撮ればよかったな。
大正7(1918)年に第八十五銀行の本店として建築された。
ルネッサンス調の塔が特徴だな。
現在は、埼玉りそな銀行川越支店。
このあたりから時代がかわってくる。
かわいい看板建築でしょ。
手前はなんと歯医者さん、そのお隣は元鉄砲の火薬など扱っていた店だと
きいたことがある。今はお洒落なバーだ。
何年か前会社のシネマ倶楽部メンバーでここで飲んだ。
もちろん川越地ビールKOEDO。
この2階でしたな、飲み過ぎだよ(笑)
ここがうまい。
東武東上線で川越をさらに1時間ほどいくと東松山というもともと炭鉱の
街がある。そこの名物焼き鳥だ。辛〜い味噌だれが美味しいのだ。
東松山の焼き鳥は実は豚のカシラなのだ。
この角の建物はスポーツ店、とくに野球用品が強い。
一度オーダーでユニホームをつくってもらった。
こっちの通りも黒塗り漆喰の蔵造りの建物が並ぶ。
ラーメンを最初につくったのは水戸黄門だとか。
その当時を再現したラーメンを出す店がある。
醤油だよね。
このうなぎ屋さんがね〜おいしい。
シネマ倶楽部でたまたま入れましたな。
しかし重たそうな屋根だな、重厚ってのはこういうことか。
この通りもとっても素敵しょ〜。
そういえばオリンピックで川越がゴルフ会場になっているらしい。
ちょっと前に安倍さんとトランプがゴルフしとったな。
散歩し甲斐がある。
この先の路地を曲がるといい建築があるけどまた次回のお楽しみに
なんせ午後から巨人戦があるから自宅に戻らねば。
川越商工会議所、昭和2(1927)年旧武州銀行川越支店としてつくられた。
ドリス様式の柱が特徴だな。
ここから大正浪漫通りに入るとしよう。
古き良き大正時代の建築が並んでいるのだ。
鯉のぼりで建物がみえない・・そうだった、何年か前からこのイベントが始まったのだ。
はいからさんが通るって感じでしょ。
ご機嫌いかが?ベニオでーす♪
冬原さんにこの役をやってもらいたい(そのまんまだろ)。
さて、蓮馨(れんけい)寺。
毎月8日に朝一をやっている。川越野菜が縁日にでるのだ。
眩しすぎる初夏の日差しにぃ〜♪
生きてるんじゃないかと思えるほどの見事な仏教彫刻だ。
この長刀(なごなた)がよくわからない、数多くのお寺をまわってきたが
長刀をかざる寺はみたことがない。
さて梅干豆を買ってと。
草履はスルーでいいか、けっこういいい値段するんだよ。
熊野神社・・3本足の八咫烏(やたがらす)
このあたりに老舗の映画館があったらしいのだが、閉館してしまったとのこと。
それだけにスカラ座は応援したい。じじいになったら毎週通うけど年パスとか
つくってくんね〜かな(笑)
このうなぎ屋さんもうまいらしい、ここは食べたことがない。
他はけっこう食べた、だって以前は安かったからね。
川越のマンホールはこれ纒(まとい)。
江戸時代に町火消の各組が用いた旗印だ。
燃えやすそうだけど大丈夫だったのかな。
これも歴史建築だ。
ちょっと北海道的な洋館?
歯医者なのだ。
この歴史建築物に入るのは歯医者さんにかかるしかないか。
ここは歯石でもとりに(笑)
このあたりにも大正時代のモダンな建築が並んでいる。
実はもともと川越の中心地はここだったのだ、つまり喜多院のあたり。
大宮から川越喜多院のところまで昭和の初期までJRがあった。
ところが東武東上線が郊外に線路をつくり、さらにJRも大宮からそっちに線路を
つくった。さらに西武線が本川越駅をつくった。そのため川越の中心地は
今の駅あたりとなった。
さて喜多院の裏にきた、この辺りは実は遊郭だったのだ。
他のページでも書いたが、赤線地帯(公認の風俗街)だった。
まだ建築がのこっているのでみてみよう。
この建物は文化遺産として保存されている。
遊郭=風俗とみるのはちょっと違うと思う。
幕末など遊郭は密談の場所として使われたし、社交の場であった。
この建物もそうだ。
今は天ぷら屋の料亭となっている。
敷居がたかくていったことはない。
ここは他のページで紹介しているがお昼にうなぎをいただいた。
このあたりを歩いているとおばあさんに“お兄さんこのあたりは昔の遊郭だよ
遊郭ってわかるよね、今は普通の住宅となっている伊藤さんは伊藤屋という
遊郭をやっていたんだよ。ところでそこでキャバクラやってるから今度きてよ
もちろん若い女(こ)いるよ”ちゃっかり宣伝(笑)
キャバクラは行かないけど、そんな話をしてくれる婆さんの店ならいってみたい。
喜多院の入り口なんだけど、蕎麦屋さんが時の鐘を模してつくってしまった。
川越愛を感じあるわ〜(^o^)丿
川越喜多院の本殿だ。
右側に江戸城の移築建築がある。
有名な春日局が徳川家光を生んだ部屋が今でもある。
ちなみに昔は川越はここまで観光地として栄えていなかった。
NHK大河ドラマ『春日局』がきっかけといわれている。
さてちょっと休憩するべ、長さんにイタlineでもするか。
本殿の裏に川越藩藩主松平家の墓所がある。
東日本大震災でここも倒れてさんさんたる状況だったが、やっと復旧できたようだ。
川越松平家は結城秀康の5男が藩祖である。
結城秀康は、長男の元康が織田信長らの密命で誅殺され
順位からいえば将軍職の後継者だったが、豊臣秀吉に養子(人質)となり後継者とは
ならなかった。
秀康の秀はもちろん秀吉の秀だ、戦国時代の忖度だ。
もっとも秀康は側室の子であったので、秀忠がもともとの後継者だったとの説もある。
秀康は福井にいき、越前藩として街づくりに尽力している。
ちなみに川越と福井の小浜は姉妹都市となっている。
ところで注目すべきは水戸・徳川斉昭の子供がこの時代に川越藩主となっている。
水戸藩士は主義主張の違いと双方の怨みあいから悲惨な結末を迎えた。
水戸藩士の墓が近くにあるので次回訪れてみたい。
喜多院の敷地内にある五百羅漢。
川越喜多院を再興したのは徳川家康のブレイン天海だ。
天海は明智光秀ではないかという説があったが、最近のテレビ番組の検証で
光秀とは筆跡が違うことが判明した。
ただし光秀傘下の武将であった説はまだのこっている。
天海は家康死後、ここで家康の遺骸を4日間安置し日光へむかったのだ。
ここは川越城の堀跡だ。
慈眼堂・・・天海がここにいた。
仙波東照宮。
ここに徳川家康の遺骸が一時安置されていたのだ。
武蔵川越藩主、信濃松本藩主、下総佐倉藩初代藩主・堀田家宗家初代の
堀田正盛が造営奉行としてつくった。
まぁ家康の遺骸が安置されたということで特別な場所だということでしょうな。
東照宮だし。
ここ。めったに門は開いていないのだが
GWはガイドさんがついて開いていた。
川越藩藩主など有力者が寄進した灯籠が並んでいる。
これは江戸城からもってきたものだ。
江戸城のどこにあったんだろうね〜。
川越ももうすぐ紫陽花の季節だな、雨の日の散歩もわるくない。
武蔵野うどんを食べて帰ろっと(笑)
これは何年か前のポスター。
コロナでマラソンも中止か、小江戸川越らしいポスターでしょ。
江戸時代の飛脚イメージだな、とってもおもしろい。
実際江戸時代の人は今より足腰強かった段では。
さて久々の川越散歩だ。
車は大阪で処分してしまったのでチャリで。
まぁ20分くらいかな、平坦な道だし楽ちん。
妄想して田んぼに落ちないようにせねば。
道の駅によって川越野菜を、大根の季節か@130円。
ロールキャベツでもつくるか。
今のJR・東武川越駅は、かつての川越中心地から遠く離れた郊外にできた。
だから蔵の街は駅から30分位は歩くことになる。
自分の家は南古谷駅に近いから直接かつての中心地に向かうというわけだ。
さて現在地は道の駅だ。
ここから川越中心部に入ると、よく行くあたりにでる。
川越の街は室町時代の後期に太田道灌がつくった川越城がベースになっている。
ここは堀であった。
すがすがしい初夏の香だ。
右側に川越市立の博物館と美術館がある。
博物館はなかなか個性的で面白い。
川越初雁球場。
甲子園の予選会場になるくらいのまともな野球場だが、どうやら移転の計画が
持ち上がっている。地元の草野球チームが移転中止の署名活動をしているとか。
ここは川越草野球市民の聖地でもあるのだ。
三芳野神社の神社は太田道灌が川越城築城を祈願したところ。
そんでもって とぉ〜りゃんせとうりゃんせ♪という江戸時代から伝わる民謡は
ここが発祥だ。
「通りゃんせ」とは 「通ってもいい」という意味だ。
「行はよいよい帰りはこわい♪」
どうやら城内に隠密が入るのをチェックしていたようで
なにかを持ち出されるのを危惧してとくに帰っていく参拝者に
厳しい監視をしていたようだ。
この参道で「ここはどこの細道じゃ〜♪」って江戸時代の子供も
歌ってたんだな〜。
川越城本丸御殿がすぐそばにある。
これは貴重な御殿建築で1848年にできた。
明治維新後、大部分が解体されたがこの立派な玄関といくつかが残った。
有形文化財に指定されている。
川越の殿さまがリアルにここにいたのだ。
大広間など会議をここでしたのかという場所があったおもしろい。
川越城は天守はなく、この南にあった櫓が天守的な見映えであったらしい。
藩主は酒井忠勝・松平信綱(知恵伊豆)や柳沢吉保など
幕政の要職についた。
大沢たかおさん主演の「JINー仁」の何話目かはここでロケが
行われた。たしか名家のお姫様の顔に大きなコブができて
南方仁がこれを手術で取り除くという話だ。
珍しく地図の上が南になっている・・つくったの関西人では(笑)
右側にあるかぼちゃカラーのカフェによく週末に本をもって通っていた。
お気に入りの席があったのだ。
“あれ、今日はそっちの席でいいの?”なんてマスターにいわれたっけ。
マスターがつくるピザは絶品だ。
いかにも城の中にある交差点でしょ〜。
映画TV 『ウォーターボーイズ』 のモデルになった川越高校の男子シンクロ部が
活躍するプールだ。夏に通るとキョンキョンの学園天国が聞こえて
このすき間からちらっとみえる。
とても人気でチケットはとれない。
学校の窓から生徒もみていてとても盛り上がる。
とても優秀な学校。
楠木の巨木がすごいよね。
念のため早い時間に散歩、コロナで人はでてないでしょ。
ここは1階がカレーが名物で・・やってねーな。
ここは観光客がくるような場所じゃなくて地元民ようだから
GWはやってないかもね。
川越市役所と太田道灌像。
川越市役所にはいつもお世話になっている。
入るとみなさん起立して市民を迎える。
ここには<お役所仕事>という言葉はない。
この市役所前にある看板建築・全身銅板の建物は蕎麦屋さん、
たぶん初期だろうね〜(調べたところ昭和5年)
<手打そば百丈>
2階で食べたけど店内の雰囲気もよくて和風レトロだ。
たしか会津のそば粉を使っていたかな。
当初は釣り道具屋さんだった。
一度乗ったことあるけど混んでて無理無理。
このあたりは昭和の建物がおおいね。
昭和の戦闘もまだある。
そういえば実家の練馬にあった銭湯は2つとも閉店した残念だ。
「お宅の息子さん、銭湯でゆずなげていらそうよ」
・・・だれがチクったのか、親が激怒しておった。
ちょっとゆず湯で盛り上がっちまったのだ。
大根をほして漬物にするようだ。
柏餅の季節だ。
豆腐もいいけどさ〜。
柏餅でしょ〜。
ここは川越の料亭、結婚式とか、その二次会とかの会場になっているようだ。
朝の連ドラ 『翼』 (多部未華子さん主演) の舞台になった老舗の映画館。
大林宣彦監督の講演を最前列できいたのもここだ。
<お話をされる大林監督>
あれは『花筐(はながたみ)』の上映あとだった。
時間を大幅にオーバーしてもずっと話されてたな〜。
ツムじいさんの歩いた道?
この洋館レストラン<太陽軒>は何か記念日に利用しようかと思っているが。
昭和4年築。当初から洋食店で外観も竣工当時のまま(もちろん塗りなおしているけど)
店内もレトロな雰囲気らしい。
ここのコーヒーはほんとおいしい、それと店内が素敵ですわ。
喫茶店のお気に入りは3店舗がある、場所的にさっきのかぼちゃ色によく行くかな。
川越ラーメンという名物はなく、この店の自己主張。
いもは川越の名物なのだが、この店が使っている紫芋はみたことがない・・・。
ここで小江戸川越地ビールをカップで飲むのが地元流。
クラフトビールは濃くて美味しい。
川越の象徴・時の鐘。
寛永時代1624−1644川越藩主酒井忠勝によってつくられた。
今でも朝6時、正午、15時、18時に鐘がなる。
川越の蔵の街並みだ。
重厚な建物だよね〜。
なんせ火災が怖かった、壁はもえにくい材質とし、
火災が起きた場合はあのがっちりしたドアを閉めて
さらにすき間に味噌を塗って酸素を遮断したそうだ。
ここがメインストリート。
川越は小江戸といわれる。
川越藩主が江戸から帰ってきて川越城下をみて“小さな江戸のようだ”といったと伝わる。
石畳みの路地を入ると和柄の雑貨店。
奥でコーヒー店もあるがここもおいしい、それと美濃焼きのコーヒーカップで
いいものを売っている。もう10年使っている愛用品もここで買った。
品数は少ないけど店主との趣味嗜好があうのかな〜。
右側の前掛けをもっている、料理するとき、皿を洗う時はこれを使う。
あ〜あと川越でやるバーベキューでもよく使ってるな。
路地の突き当りに養寿院、1244年鎌倉武士の河越氏による。
河越重頼の墓がある、孫がつくった。
河越重頼は有力な御家人として用いられ、平家追討の源義経・範頼に従軍する。
源義経の妾・静御前は有名だが、正室は河越重頼の娘・郷御前だ。
郷御前はちゃんと京都の義経を追っている。京姫ともいわれる。
静御前は吉野で部下に預け京都に送っているが、途中で部下が裏切り
静御前は一文無しで京都へ、どうしようもない部下に預けたのか・・。
郷御前は奥州藤原氏まで運命をともにした。
源義経は衣川館の持仏堂で郷御前と娘を殺害し自害して果てている。
義経妻子のお墓は寄り添うようにある。
静御前のほうが本命だったような論調が多いが、冷静にみると正妻が本命かな〜。
義経と重頼の弟が後白河法皇から任官されたことで頼朝が激怒。
その後、河越重頼は長男とともに頼朝に誅殺される。
頼朝がもう少し懐が大きければ…見方を敵にすることもなかったろうに
挙句の果て正史『吾妻鏡』にも頼朝は馬から落ちて死んだという
武士としては最悪の屈辱を歴史に残し、北条氏に乗っ取られる・・・。
養寿院の目の前にあるうなぎ屋さん<いも重>。
そういえばうなぎは値段があがったな〜。
菓子屋横丁って江戸時代中期からやってるっていうから驚き桃の木山椒の木。
店の奥でつくってるのがみえる・・手作りだわ。
ここまでくると観光客はいない。
高澤橋…昔は石造りのアーチで眼鏡橋だったそうだ。
明治43年(1912年)の大雨で木っ端みじんに・・・。
橋向こうにお気に入りの蕎麦屋さんがある。
ちょっと前の写真で蕎麦をお見せしましょ。
女将と話したが、奥に蔵があり、ミニシアターでもしようかな〜
もしくは芸術作品でも展示するかとのこと。
復活してくれないかな〜。
水量が多いな。
今も川越市民の憩いの場だ。
この先に太田道灌の館跡地がある。
さらにもうちょっといくと桜がきれいな場所が。
⇒ 川越新河岸川の桜
蕎麦屋<中正屋>女将があーだこーだ書いてるな。
ここはできて10年もたっていないかな。
蔵があって映画でも上映しようかなんて話していたけど。
地元の店でGWはやってね〜。
ここはやっていることのほうが珍しい。
おやじさんは仏教彫刻で神輿などもつくるそうで
あまった重たい板で、まな板をつくってくれ格安で譲ってくれるのだ。
そりゃ数百年もつような硬い貴重な木材でまな板(笑)
もう何年つかってるかな〜。
台湾の知り合いに紹介したら大きいの2個買っていった。
よくもって帰ったな(笑)
なんていう花だろうかね。
さて買っていくか、道の駅もいいけどこういう地元のお店がいい。
大阪の阪急茨木駅ちかくにいい地元のお店があったよな〜。
あの店があるだけで近くに住みたくなる。
おっきいトマトだ。
つむっちは青いのすきだというと
おばちゃんは完熟系の真っ赤のが好きだって。
スライスしてオリーブオイルをかけて食べるのが好きだって。
おばちゃんやるな(笑)つむっちもやってみよっと(2個買いました@160円)
550円か、ちょうど西日を避けるための布が欲しかった。
この蕎麦屋さんもおいしい、天ぷらとかちょっと創作料理っぽくしてる。
昭和の夜の通りだけど、もうやっていないな〜。
さてメインストリートへ戻るとしよう。
埼玉の所沢がトトロのモデルになったところで、川越からもすぐそばだ。
ドライアイになっちゃうよ。
この醤油屋さんには何度かいってる。
お気に入りの看板だ。
この看板もいいでしょー・
もうちょっと角度をつけて撮ればよかったな。
大正7(1918)年に第八十五銀行の本店として建築された。
ルネッサンス調の塔が特徴だな。
現在は、埼玉りそな銀行川越支店。
このあたりから時代がかわってくる。
かわいい看板建築でしょ。
手前はなんと歯医者さん、そのお隣は元鉄砲の火薬など扱っていた店だと
きいたことがある。今はお洒落なバーだ。
何年か前会社のシネマ倶楽部メンバーでここで飲んだ。
もちろん川越地ビールKOEDO。
この2階でしたな、飲み過ぎだよ(笑)
ここがうまい。
東武東上線で川越をさらに1時間ほどいくと東松山というもともと炭鉱の
街がある。そこの名物焼き鳥だ。辛〜い味噌だれが美味しいのだ。
東松山の焼き鳥は実は豚のカシラなのだ。
この角の建物はスポーツ店、とくに野球用品が強い。
一度オーダーでユニホームをつくってもらった。
こっちの通りも黒塗り漆喰の蔵造りの建物が並ぶ。
ラーメンを最初につくったのは水戸黄門だとか。
その当時を再現したラーメンを出す店がある。
醤油だよね。
このうなぎ屋さんがね〜おいしい。
シネマ倶楽部でたまたま入れましたな。
しかし重たそうな屋根だな、重厚ってのはこういうことか。
この通りもとっても素敵しょ〜。
そういえばオリンピックで川越がゴルフ会場になっているらしい。
ちょっと前に安倍さんとトランプがゴルフしとったな。
散歩し甲斐がある。
この先の路地を曲がるといい建築があるけどまた次回のお楽しみに
なんせ午後から巨人戦があるから自宅に戻らねば。
川越商工会議所、昭和2(1927)年旧武州銀行川越支店としてつくられた。
ドリス様式の柱が特徴だな。
ここから大正浪漫通りに入るとしよう。
古き良き大正時代の建築が並んでいるのだ。
鯉のぼりで建物がみえない・・そうだった、何年か前からこのイベントが始まったのだ。
はいからさんが通るって感じでしょ。
ご機嫌いかが?ベニオでーす♪
冬原さんにこの役をやってもらいたい(そのまんまだろ)。
さて、蓮馨(れんけい)寺。
毎月8日に朝一をやっている。川越野菜が縁日にでるのだ。
眩しすぎる初夏の日差しにぃ〜♪
生きてるんじゃないかと思えるほどの見事な仏教彫刻だ。
この長刀(なごなた)がよくわからない、数多くのお寺をまわってきたが
長刀をかざる寺はみたことがない。
さて梅干豆を買ってと。
草履はスルーでいいか、けっこういいい値段するんだよ。
熊野神社・・3本足の八咫烏(やたがらす)
このあたりに老舗の映画館があったらしいのだが、閉館してしまったとのこと。
それだけにスカラ座は応援したい。じじいになったら毎週通うけど年パスとか
つくってくんね〜かな(笑)
このうなぎ屋さんもうまいらしい、ここは食べたことがない。
他はけっこう食べた、だって以前は安かったからね。
川越のマンホールはこれ纒(まとい)。
江戸時代に町火消の各組が用いた旗印だ。
燃えやすそうだけど大丈夫だったのかな。
これも歴史建築だ。
ちょっと北海道的な洋館?
歯医者なのだ。
この歴史建築物に入るのは歯医者さんにかかるしかないか。
ここは歯石でもとりに(笑)
このあたりにも大正時代のモダンな建築が並んでいる。
実はもともと川越の中心地はここだったのだ、つまり喜多院のあたり。
大宮から川越喜多院のところまで昭和の初期までJRがあった。
ところが東武東上線が郊外に線路をつくり、さらにJRも大宮からそっちに線路を
つくった。さらに西武線が本川越駅をつくった。そのため川越の中心地は
今の駅あたりとなった。
さて喜多院の裏にきた、この辺りは実は遊郭だったのだ。
他のページでも書いたが、赤線地帯(公認の風俗街)だった。
まだ建築がのこっているのでみてみよう。
この建物は文化遺産として保存されている。
遊郭=風俗とみるのはちょっと違うと思う。
幕末など遊郭は密談の場所として使われたし、社交の場であった。
この建物もそうだ。
今は天ぷら屋の料亭となっている。
敷居がたかくていったことはない。
ここは他のページで紹介しているがお昼にうなぎをいただいた。
このあたりを歩いているとおばあさんに“お兄さんこのあたりは昔の遊郭だよ
遊郭ってわかるよね、今は普通の住宅となっている伊藤さんは伊藤屋という
遊郭をやっていたんだよ。ところでそこでキャバクラやってるから今度きてよ
もちろん若い女(こ)いるよ”ちゃっかり宣伝(笑)
キャバクラは行かないけど、そんな話をしてくれる婆さんの店ならいってみたい。
喜多院の入り口なんだけど、蕎麦屋さんが時の鐘を模してつくってしまった。
川越愛を感じあるわ〜(^o^)丿
川越喜多院の本殿だ。
右側に江戸城の移築建築がある。
有名な春日局が徳川家光を生んだ部屋が今でもある。
ちなみに昔は川越はここまで観光地として栄えていなかった。
NHK大河ドラマ『春日局』がきっかけといわれている。
さてちょっと休憩するべ、長さんにイタlineでもするか。
本殿の裏に川越藩藩主松平家の墓所がある。
東日本大震災でここも倒れてさんさんたる状況だったが、やっと復旧できたようだ。
川越松平家は結城秀康の5男が藩祖である。
結城秀康は、長男の元康が織田信長らの密命で誅殺され
順位からいえば将軍職の後継者だったが、豊臣秀吉に養子(人質)となり後継者とは
ならなかった。
秀康の秀はもちろん秀吉の秀だ、戦国時代の忖度だ。
もっとも秀康は側室の子であったので、秀忠がもともとの後継者だったとの説もある。
秀康は福井にいき、越前藩として街づくりに尽力している。
ちなみに川越と福井の小浜は姉妹都市となっている。
ところで注目すべきは水戸・徳川斉昭の子供がこの時代に川越藩主となっている。
水戸藩士は主義主張の違いと双方の怨みあいから悲惨な結末を迎えた。
水戸藩士の墓が近くにあるので次回訪れてみたい。
喜多院の敷地内にある五百羅漢。
川越喜多院を再興したのは徳川家康のブレイン天海だ。
天海は明智光秀ではないかという説があったが、最近のテレビ番組の検証で
光秀とは筆跡が違うことが判明した。
ただし光秀傘下の武将であった説はまだのこっている。
天海は家康死後、ここで家康の遺骸を4日間安置し日光へむかったのだ。
ここは川越城の堀跡だ。
慈眼堂・・・天海がここにいた。
仙波東照宮。
ここに徳川家康の遺骸が一時安置されていたのだ。
武蔵川越藩主、信濃松本藩主、下総佐倉藩初代藩主・堀田家宗家初代の
堀田正盛が造営奉行としてつくった。
まぁ家康の遺骸が安置されたということで特別な場所だということでしょうな。
東照宮だし。
ここ。めったに門は開いていないのだが
GWはガイドさんがついて開いていた。
川越藩藩主など有力者が寄進した灯籠が並んでいる。
これは江戸城からもってきたものだ。
江戸城のどこにあったんだろうね〜。
川越ももうすぐ紫陽花の季節だな、雨の日の散歩もわるくない。
武蔵野うどんを食べて帰ろっと(笑)
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