ペリー上陸の久里浜と咸臨丸出航の浦賀を散歩
(2017年3月に散歩)
君に会う日は不思議なくらい雨がおおくて
水のトンネルくぐるみたいで幸せになる
「はじまりはいつも雨」
なんて素敵な歌詞なんだ。
ですが、今日は快晴、三浦半島を散歩します。
品川から京急で久里浜へ向かいましょう。
いきなりですが駅近くのお店で地元のお魚を
貝をいただきました、うまかった。
女性定員は最悪ですが。
どこにでもツウデレはいるもので、さっさと散歩にいきましょう。
久里浜駅前風景。
さて、散歩スタート。
昔は尻を地面を尻にこすりながら坂をくだったそうです。
ここがペリーが黒船で来航し上陸した場所です。
こんな感じだったらしい、大騒動だ(記念館・写真可)。
ここに記念碑、後ろに博物館。
伊藤博文の書か。
こんな感じ(記念館・写真可)
会津藩士の墓ってここにもあるの・・・。
はぁ?どういう意味かな。
釣り船かな〜と思いきや漁船でした。
バスで山を越えるか、歩くか。
山の向こうが浦賀。
歩きまして・・・やっと下り。
浦賀は干鰯など海産物を全国へ販売していたらしく
倉庫となる蔵が必要だったわけです。
漆喰の土塀ではなく、石積みですね。
東福寺。
江戸幕府浦賀奉行が就任すると必ずお参りにきたお寺です。
注目すべきは・・・
何かの物語でしょうな、珍しい彫り物だ。
蔵がみえますな・・歩きましょ。
この昭和の建物と道のカーブが素敵です。
なるほど〜シックでしょー。
和菓子屋さんにはいったらのれんが黒船。
こののれんはオーダーだな〜。
明治大正の建物も頑張ってますよ。
春の香り・・・。
西叶神社。
1867年慶応3年このちかくの店の樽の中から、それはまたけったいなお札がでたそうで
それが三浦半島の「ええじゃないか」につながり奉行所も手が付けられなくなりました。
つむ・・・しかみえない。
ハート型にみえない?
勝手ながらヘルメット型狛犬と呼んでいます。
繰り返しになりますが、狛犬はスフィンクスと同じ役割、同じルーツです。
狛犬より先は神域となり、そこまでは俗界ということになります。
廻船問屋でした。
いいでしょ。
海にうがぶ帆船をみたいな〜。
砂糖さん、なんでもありっすか(笑)
なに?
咸臨丸出航の碑がありました。
そうです、幕末ここから近代日本が始まったんです。
1860年(万延元年)、日米修好通商条約の批准書を交換するため遣米使節団一行が
アメリカ軍艦ポーハタン号にて太平洋を横断しました。
咸臨丸はポーハタン号の別船として浦賀を出港、サンフランシスコに入港。
艦長は勝海舟(正確には勝は「軍艦操練所教授方頭取」、
木村摂津守は「軍艦奉行」であったが、通訳の中浜万次郎(ジョン万次郎)は勝が艦長、
木村が提督との説明で押し通した。福澤諭吉らも乗船していた。
万次郎以外の船員は大半が船酔いで、
技術アドバイザーとして乗船していたジョン・ブルック大尉他、
アメリカ人乗員の助けを借りての航海であった。
(WIKI)
咸臨丸は戊辰戦争に参加、その後北海道に航海中沈没、サラキ岬でした。
昔からあったらしいですね。
浦賀の渡し。
酔いはしないけど。
吉田松陰が泊まった徳田屋旅館です。
吉田松陰はここから黒船に乗船を試みたわけですね。
浦賀奉行所与力であった中島三郎助親子の墓がありますが・・・。
ときどきこういうしょぼいお寺があります。
どんだけ懐の狭い。
御朱印代で儲けたいわけだ。
写真上(東)を右側にすすみます。
東叶(ひがしかのう)神社です。
ここは咸臨丸で出航前の勝海舟が断食した場所で有名ですね。
そのとき着ていた和服がまだのこっているようです。
浦賀駅へ向かって歩きましょう。
浦賀駅につきました。
次は横須賀方面に向かいましょ。
君に会う日は不思議なくらい雨がおおくて
水のトンネルくぐるみたいで幸せになる
「はじまりはいつも雨」
なんて素敵な歌詞なんだ。
ですが、今日は快晴、三浦半島を散歩します。
品川から京急で久里浜へ向かいましょう。
いきなりですが駅近くのお店で地元のお魚を
貝をいただきました、うまかった。
女性定員は最悪ですが。
どこにでもツウデレはいるもので、さっさと散歩にいきましょう。
久里浜駅前風景。
さて、散歩スタート。
昔は尻を地面を尻にこすりながら坂をくだったそうです。
ここがペリーが黒船で来航し上陸した場所です。
こんな感じだったらしい、大騒動だ(記念館・写真可)。
ここに記念碑、後ろに博物館。
伊藤博文の書か。
こんな感じ(記念館・写真可)
会津藩士の墓ってここにもあるの・・・。
はぁ?どういう意味かな。
釣り船かな〜と思いきや漁船でした。
バスで山を越えるか、歩くか。
山の向こうが浦賀。
歩きまして・・・やっと下り。
浦賀は干鰯など海産物を全国へ販売していたらしく
倉庫となる蔵が必要だったわけです。
漆喰の土塀ではなく、石積みですね。
東福寺。
江戸幕府浦賀奉行が就任すると必ずお参りにきたお寺です。
注目すべきは・・・
何かの物語でしょうな、珍しい彫り物だ。
蔵がみえますな・・歩きましょ。
この昭和の建物と道のカーブが素敵です。
なるほど〜シックでしょー。
和菓子屋さんにはいったらのれんが黒船。
こののれんはオーダーだな〜。
明治大正の建物も頑張ってますよ。
春の香り・・・。
西叶神社。
1867年慶応3年このちかくの店の樽の中から、それはまたけったいなお札がでたそうで
それが三浦半島の「ええじゃないか」につながり奉行所も手が付けられなくなりました。
つむ・・・しかみえない。
ハート型にみえない?
勝手ながらヘルメット型狛犬と呼んでいます。
繰り返しになりますが、狛犬はスフィンクスと同じ役割、同じルーツです。
狛犬より先は神域となり、そこまでは俗界ということになります。
廻船問屋でした。
いいでしょ。
海にうがぶ帆船をみたいな〜。
砂糖さん、なんでもありっすか(笑)
なに?
咸臨丸出航の碑がありました。
そうです、幕末ここから近代日本が始まったんです。
1860年(万延元年)、日米修好通商条約の批准書を交換するため遣米使節団一行が
アメリカ軍艦ポーハタン号にて太平洋を横断しました。
咸臨丸はポーハタン号の別船として浦賀を出港、サンフランシスコに入港。
艦長は勝海舟(正確には勝は「軍艦操練所教授方頭取」、
木村摂津守は「軍艦奉行」であったが、通訳の中浜万次郎(ジョン万次郎)は勝が艦長、
木村が提督との説明で押し通した。福澤諭吉らも乗船していた。
万次郎以外の船員は大半が船酔いで、
技術アドバイザーとして乗船していたジョン・ブルック大尉他、
アメリカ人乗員の助けを借りての航海であった。
(WIKI)
咸臨丸は戊辰戦争に参加、その後北海道に航海中沈没、サラキ岬でした。
昔からあったらしいですね。
浦賀の渡し。
酔いはしないけど。
吉田松陰が泊まった徳田屋旅館です。
吉田松陰はここから黒船に乗船を試みたわけですね。
浦賀奉行所与力であった中島三郎助親子の墓がありますが・・・。
ときどきこういうしょぼいお寺があります。
どんだけ懐の狭い。
御朱印代で儲けたいわけだ。
写真上(東)を右側にすすみます。
東叶(ひがしかのう)神社です。
ここは咸臨丸で出航前の勝海舟が断食した場所で有名ですね。
そのとき着ていた和服がまだのこっているようです。
浦賀駅へ向かって歩きましょう。
浦賀駅につきました。
次は横須賀方面に向かいましょ。
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