志度|江戸時代の発明家平賀源内の故郷
(2018年3月に散歩)

引田散歩から電車に乗りまして志度(しど)へ向かい中。

志度駅に到着♪

改札をでたところに・・・これはだれでしょう。

駅舎が波のイメージかな〜。

ほ〜駅前はこんな感じね。
知らない街へ降り立つとどんな風景なのかってすごく楽しみで。

駅前の和菓子屋さんで桜餅、たまらんわ〜。

あ〜海が近いしね、磯の香りだわ。

この通りが旧街道だ。
あら、うだってるな。

志度もお祭りがあるんだな〜。
小さな街だし娯楽がなかった時代には楽しみなイベントだったんでしょ。

お〜江戸時代の出窓だ。
江戸時代も陽当たりのいい出窓に花とか置いたのかな。
今回の散歩は今日までが晴天。

おいおい立派だな。
五重塔もありか。
志度寺。

さてあった、平賀源内のお墓。
平賀源内は1728年にここ志度で生まれた。
本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、
戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家として知られる。天才だよね。
でもどうして一人だけずば抜けた天才になったのだろうか。
それがわかれば天才を量産できるが、なかなか(笑)

おっと旅のお供にキットカット・・・ではなく草履でしょ。

仁王門(国指定重要文化財)
かの鎌倉時代の仏師運慶の力作なのだ。
おばちゃん(近づいてきて教えてくれた)曰く、東大寺の金剛力士像をつくり前の試作品。
え〜そうなの!(笑)
昔こんな金属バットをもった不良が校門前でいたよな〜。

志度寺は四国霊場屈指の古刹・・・おばちゃん曰くNO1。
あとで調べたらまんざら嘘ではない。
開創は古くなななん!!と推古天皇33年(6255)、
1400年の歴史ありか。

四国霊場のHPによると・・・海洋技能集団海人族の凡園子(おおしそのこ)が霊木を刻み
十一面観音(かんのん)像を彫り、精舎を建てたのが始まりと言われ。

ここから有名人が登場、藤原鎌足の息子、藤原不比等が妻の墓を建立し
「志度道場」と名づけらたとか。
その息子房前の時代、持統天皇7年(693)、行基とともに堂宇を拡張し
学問の道場として栄え、能楽の作品「海士(あま)」の舞台とも。

室町時代には、四国管領の細川氏の寄進により繁栄、戦国時代に荒廃。
その後、藤原氏末裔、生駒親正(安土桃山時代、信長や秀吉などに仕える)により
寛文10年(1671年)高松藩主松平頼重の寄進などにより再興。

これがみたくてこの街にきたんだな〜運慶の作だと
霊行巡りをしている人たちはわかっているのだろうか。
お寺もお寺でどこにも書いてない(笑)
すごい迫力でしょ。

これも生き生きしてて、たぶん運慶でしょう。
しかし1000年近くたってこの状態か。
つむっちは46年生きてきてかなり劣化・・・。

どこか異次元の世界から抜け出てきた瞬間・・・なんて感じがする。
実際、夜になると完全に抜け出て志度の空を泳いでいるとか
・・・なんてことはおばちゃんは言ってない。

徳川か。
そうなんだよね、あとで高松で勉強したんだけど
生駒氏はお家騒動をおこして領地とりあげ、水戸徳川家が分家して引き継いでる。

おばちゃん曰く、このゆったりな長いソリが美的にすばらしいとのこと。
本尊・十一面観世菩薩立像、さらに両脇侍の不動明王立像、毘沙門天立像は
平安時代の檜一木造り。
讃岐藩主、松平頼重により寄進された本堂とともに全て国の重要文化財!!

仁王様もがっつりにらみをきかせてるわ。

お祈りをしたあとで写真を1枚。
これが戦国大名、生駒親正のお墓。

乃木坂の生駒ちゃんとは何か関係あるのかな〜。
生駒氏は讃岐を召し上げられて秋田の矢島藩へ転封。
現在の田県由利本荘市矢島町。
そんでもって、生駒ちゃんはここの出身だそうだ。

あ〜春だな〜。

いい季節だ。

海にでてきました、ドラマにでてきそうだな。

あ〜タバコ屋さん、土台がモダイクタイルか。
昭和30年代のトレンドで土台がモザイクタイル、幕板はカラーガラス。
ショーケースのガラスは丸みをおびてるね〜。
詳しくはこちらへ ⇒ たばこ屋のショーケースに注目、タバコ屋の歴あり

平賀源内記念館がありやした。
案内してくれる女性がとても美人。
わかりやすくいえば元アイドルって感じかな
つむっち世代。
なんせ観光客なんてこの街にどれくらいのか・・・って感じなので
空いてたな〜。

エレキテルという言葉はきいたことがあるけど
何のことかはわからない。
元アイドルさんにきいたところ、電気を身体に通すことで
病気が治癒すると考えていたらしく。
エレキテル=摩擦起電機。

<平賀源内像>
夜みるとちょっとこわっ。
エレキテルを平賀源内が考案したものではなく
ヨーロッパでつくられ日本へもちこまれたものを復元製作したのが平賀源内と
いうことらしい。

平賀源内の生まれた街はこんな感じ。

お〜建物は今風なので省略。

なかなかいいセンスだけど。
チャリ借りるほど観光素材あるのか・・・。

生家あとで、健康茶をいただき。

手ぶらのおじさんが肩越しに説明をはじめた。
平賀家は代々この土地の年貢米蔵の管理人だったそうで
このあたりにその蔵があったとか。
そして、おじさんは黙って立ち去る・・・あら、いない(笑)

ちょいちょいお参りしながら。

この街の人は出窓が好きだな(^^)/

高松方面に行くにはさっきのJRか、ここ始発の琴平電鉄。
通称、琴電(ことでん)だってさ。

還暦なのはつむっちではなく電車。
つむっちもいつかは大人の休日倶楽部・・・。

さて明日から雨なので今日をどう有効に使うか。
今日は午前中に2つの街を散歩できた。
できればと1つ、2つ散歩したい。

さて乗るか。

車窓の風景・・・つむっちがすきな額縁効果だ。
切り取った風景がより一層その風景を魅力的なものに演出してくれるんだな。
決めた! 午後一は琴電を使って仏生山へ行きことにするわ。
⇒仏生山(ぶっしょうざん)散歩へGO!(^o^)/

引田散歩から電車に乗りまして志度(しど)へ向かい中。

志度駅に到着♪

改札をでたところに・・・これはだれでしょう。

駅舎が波のイメージかな〜。

ほ〜駅前はこんな感じね。
知らない街へ降り立つとどんな風景なのかってすごく楽しみで。

駅前の和菓子屋さんで桜餅、たまらんわ〜。

あ〜海が近いしね、磯の香りだわ。

この通りが旧街道だ。
あら、うだってるな。

志度もお祭りがあるんだな〜。
小さな街だし娯楽がなかった時代には楽しみなイベントだったんでしょ。

お〜江戸時代の出窓だ。
江戸時代も陽当たりのいい出窓に花とか置いたのかな。
今回の散歩は今日までが晴天。

おいおい立派だな。
五重塔もありか。
志度寺。

さてあった、平賀源内のお墓。
平賀源内は1728年にここ志度で生まれた。
本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、
戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家として知られる。天才だよね。
でもどうして一人だけずば抜けた天才になったのだろうか。
それがわかれば天才を量産できるが、なかなか(笑)

おっと旅のお供にキットカット・・・ではなく草履でしょ。

仁王門(国指定重要文化財)
かの鎌倉時代の仏師運慶の力作なのだ。
おばちゃん(近づいてきて教えてくれた)曰く、東大寺の金剛力士像をつくり前の試作品。
え〜そうなの!(笑)
昔こんな金属バットをもった不良が校門前でいたよな〜。

志度寺は四国霊場屈指の古刹・・・おばちゃん曰くNO1。
あとで調べたらまんざら嘘ではない。
開創は古くなななん!!と推古天皇33年(6255)、
1400年の歴史ありか。

四国霊場のHPによると・・・海洋技能集団海人族の凡園子(おおしそのこ)が霊木を刻み
十一面観音(かんのん)像を彫り、精舎を建てたのが始まりと言われ。

ここから有名人が登場、藤原鎌足の息子、藤原不比等が妻の墓を建立し
「志度道場」と名づけらたとか。
その息子房前の時代、持統天皇7年(693)、行基とともに堂宇を拡張し
学問の道場として栄え、能楽の作品「海士(あま)」の舞台とも。

室町時代には、四国管領の細川氏の寄進により繁栄、戦国時代に荒廃。
その後、藤原氏末裔、生駒親正(安土桃山時代、信長や秀吉などに仕える)により
寛文10年(1671年)高松藩主松平頼重の寄進などにより再興。

これがみたくてこの街にきたんだな〜運慶の作だと
霊行巡りをしている人たちはわかっているのだろうか。
お寺もお寺でどこにも書いてない(笑)
すごい迫力でしょ。

これも生き生きしてて、たぶん運慶でしょう。
しかし1000年近くたってこの状態か。
つむっちは46年生きてきてかなり劣化・・・。

どこか異次元の世界から抜け出てきた瞬間・・・なんて感じがする。
実際、夜になると完全に抜け出て志度の空を泳いでいるとか
・・・なんてことはおばちゃんは言ってない。

徳川か。
そうなんだよね、あとで高松で勉強したんだけど
生駒氏はお家騒動をおこして領地とりあげ、水戸徳川家が分家して引き継いでる。

おばちゃん曰く、このゆったりな長いソリが美的にすばらしいとのこと。
本尊・十一面観世菩薩立像、さらに両脇侍の不動明王立像、毘沙門天立像は
平安時代の檜一木造り。
讃岐藩主、松平頼重により寄進された本堂とともに全て国の重要文化財!!

仁王様もがっつりにらみをきかせてるわ。

お祈りをしたあとで写真を1枚。
これが戦国大名、生駒親正のお墓。

乃木坂の生駒ちゃんとは何か関係あるのかな〜。
生駒氏は讃岐を召し上げられて秋田の矢島藩へ転封。
現在の田県由利本荘市矢島町。
そんでもって、生駒ちゃんはここの出身だそうだ。

あ〜春だな〜。

いい季節だ。

海にでてきました、ドラマにでてきそうだな。

あ〜タバコ屋さん、土台がモダイクタイルか。
昭和30年代のトレンドで土台がモザイクタイル、幕板はカラーガラス。
ショーケースのガラスは丸みをおびてるね〜。
詳しくはこちらへ ⇒ たばこ屋のショーケースに注目、タバコ屋の歴あり

平賀源内記念館がありやした。
案内してくれる女性がとても美人。
わかりやすくいえば元アイドルって感じかな
つむっち世代。
なんせ観光客なんてこの街にどれくらいのか・・・って感じなので
空いてたな〜。

エレキテルという言葉はきいたことがあるけど
何のことかはわからない。
元アイドルさんにきいたところ、電気を身体に通すことで
病気が治癒すると考えていたらしく。
エレキテル=摩擦起電機。

<平賀源内像>
夜みるとちょっとこわっ。
エレキテルを平賀源内が考案したものではなく
ヨーロッパでつくられ日本へもちこまれたものを復元製作したのが平賀源内と
いうことらしい。

平賀源内の生まれた街はこんな感じ。

お〜建物は今風なので省略。

なかなかいいセンスだけど。
チャリ借りるほど観光素材あるのか・・・。

生家あとで、健康茶をいただき。

手ぶらのおじさんが肩越しに説明をはじめた。
平賀家は代々この土地の年貢米蔵の管理人だったそうで
このあたりにその蔵があったとか。
そして、おじさんは黙って立ち去る・・・あら、いない(笑)

ちょいちょいお参りしながら。

この街の人は出窓が好きだな(^^)/

高松方面に行くにはさっきのJRか、ここ始発の琴平電鉄。
通称、琴電(ことでん)だってさ。

還暦なのはつむっちではなく電車。
つむっちもいつかは大人の休日倶楽部・・・。

さて明日から雨なので今日をどう有効に使うか。
今日は午前中に2つの街を散歩できた。
できればと1つ、2つ散歩したい。

さて乗るか。

車窓の風景・・・つむっちがすきな額縁効果だ。
切り取った風景がより一層その風景を魅力的なものに演出してくれるんだな。
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