長岡を散歩|長岡城の城下町と幕末長岡藩家老・河合継之助の物語
(2021年11月に散歩)
不自由を常とおもえば不足なし
こころに望おこらば困窮したる時を思い出すべし・・・
この言葉とたたかっている・・・今持っている布団乾燥機のノズルが短く
布団の奥までとどかないのだ。まぁ温風が強いのでそれなりに広がりはあるが・・。
最近のはノズルが伸びるし、ツインノズル!すげぇー?!
寝る前にやっておけば布団全体がポカポカではないか!買いたい(^^)/
布団に入って10分もたない寝つきの良さがさらにスヤスヤであることは間違いない。
が、今の布団乾燥機はもう10年以上使っているが小型でなんら問題なく絶好調・・
アイリスオーヤマで10000円か・・むむむ、日本の家電メーカーの提案力はすごい(^o^)
散歩をしているといろいろ人生を考えされてくるのがいい、布団乾燥機だけど。
さて長岡は江戸時代、長岡藩があり、このオレンジ部分が長岡の天守にあたる。
この駅周辺がお城と城下町だ。堀は埋め立てられてわからず。
さて、パンを食べ食べその痕跡がないか見てまわろう。
朝のできたてパンはうまいのだ。
住所はわざとらしいので後付けかもしれないが、刃物など刀鍛冶からの伝承かと
思える、これも城下町の痕跡で散歩的にはうれしい発見だ。
お〜歴史ある料亭 かも川館だ。
海が近いのでいいものが食べられそうだ。
まぁ予算的に無理なのでここからの風景で満足。
長岡藩の殿さまは牧野家で譜代大名、幕末には15万石ほどあったらしい。
ここは夜の街だな・・・それだけのなにか工場とかが郊外にあるのだろうか。
そうでないと夜の街も成り立たないのだ。
わかりやすい店名で(笑)
「マイペース」って(笑)
新幹線ってすごいね、長岡の朝の買い物時間に間に合うんだ。
まだ10時くらいかな。
突き当りがJR長岡駅。
ちと戻って長岡城の天守閣あたりを散歩してみるか。
ひっそり碑が立っていた。
車で20分くらい行ったところにある悠久山公園に長岡城が再建されている。
なかなかいいアピールだ。
おっと新潟によくある道の色、冬に道路下から温水をだして氷をとかすのだが
鉄分が含まれているようでこういう色になるらしい。
地名はかならずチェックしよう。
あのはす向かいにある建物の場所が河合継之助の住居跡。
河合継之助を主人公とした映画 『峠 最後のサムライ』が2022年公開される。
役所広司さんが河合継之助役だ。
河合継之助の記念館になっている。
河合継之助は幕末、長岡藩家老として西軍先発隊岩村精一郎(土佐)と交渉し
中立を主張したが西軍は相手にせず開戦となった。
河合継之助は西軍本隊は山縣有朋、黒田清隆との対談を希望したのが
岩村はバカにされたと感じたのかもしれない。
小さな長岡藩ごときのさらに家臣クラスめと思う可能性は十分ありうる。
実際に信州の諸藩は凡庸な家老がその都度恭順をしてきた。
長岡の小藩に人物がいるとは想像できなかったろうが、河合継之助は長崎に留学しており
西軍側にもその人物像は知っている人もいただろう、岩村も陸援隊にいたのだ。
ただ、長州人の岩村の評価は低く、軽率で無思慮。
山縣らとの面談を拒否された河合継之助は岩村に問うた
「あなた方が真の官軍ならば恭順しても良いが、討幕と会津討伐の正当な理由は何か、
旧幕府や会津を討伐すると言いながら本当は私的な制裁や権力奪取が目的では?
長岡領内への侵入と戦闘は断る」wikiより
岩村は反論できなかったそうだ、建前上の大義名分すら理解していなかったのだろうか。
河合継之助はさらに会津との仲介を申し出た。
河合継之助は長崎にいたので外国がアジアに侵出してきており中国が植民地に
されていたことなど知っていただろう、岩村も知っていたかと思うが。
つまり内戦をしている場合ではないという大局的な見方をしていたのではないか。
ただし河合継之助に対する評価は長岡では二分しているようだ。
藩に対して開戦前後一揆が発生、河合継之助は厳しく対処しているのが原因だ。
長岡城だ。
ところでこんな服装、ユニクロのダウンは素晴らしい、軽いよ。
最近かさばらないのも出ているので2色購入。
呉服町ってのはよくある地名だな。
呉服屋さんがあったんだろう。
実はつむの父方は世田谷の豪徳寺で呉服屋をやっていた。
洋服への変化にはついていけなかったようだ。
あまり興味はないのでスルー。
この近くに河合継之助の墓があったんだよな〜次回行くとしよう。
ちかくに公園があった。
長岡を空襲したってことはアメリカは小さな町まで爆撃したのだ。
日本人を根絶やしにするつもりあったのだろうか。
韓国人の友人が、日本人がアメリカと仲良くするのは信じられると
いっていたのを思い出す。
さてこの鐘は・・。
西軍が攻めてきたときにこの鐘を打ち鳴らしたのか、リアルな歴史だ。
雪国にありがちな銅板の屋根。
どういう物語があるのだろうか・・。
かたツムり・・多少びびっとくるものがある。
長州が長岡城を死守しようとしている・・・河合継之助は
城を取り戻したのだ。
2000円くらいだったかな、美味しかった。
ご飯が多いのさ、タッパーで酢飯を持ち帰った。
河合継之助の物語を楽しみにしよう。
不自由を常とおもえば不足なし
こころに望おこらば困窮したる時を思い出すべし・・・
この言葉とたたかっている・・・今持っている布団乾燥機のノズルが短く
布団の奥までとどかないのだ。まぁ温風が強いのでそれなりに広がりはあるが・・。
最近のはノズルが伸びるし、ツインノズル!すげぇー?!
寝る前にやっておけば布団全体がポカポカではないか!買いたい(^^)/
布団に入って10分もたない寝つきの良さがさらにスヤスヤであることは間違いない。
が、今の布団乾燥機はもう10年以上使っているが小型でなんら問題なく絶好調・・
アイリスオーヤマで10000円か・・むむむ、日本の家電メーカーの提案力はすごい(^o^)
散歩をしているといろいろ人生を考えされてくるのがいい、布団乾燥機だけど。
さて長岡は江戸時代、長岡藩があり、このオレンジ部分が長岡の天守にあたる。
この駅周辺がお城と城下町だ。堀は埋め立てられてわからず。
さて、パンを食べ食べその痕跡がないか見てまわろう。
朝のできたてパンはうまいのだ。
住所はわざとらしいので後付けかもしれないが、刃物など刀鍛冶からの伝承かと
思える、これも城下町の痕跡で散歩的にはうれしい発見だ。
お〜歴史ある料亭 かも川館だ。
海が近いのでいいものが食べられそうだ。
まぁ予算的に無理なのでここからの風景で満足。
長岡藩の殿さまは牧野家で譜代大名、幕末には15万石ほどあったらしい。
ここは夜の街だな・・・それだけのなにか工場とかが郊外にあるのだろうか。
そうでないと夜の街も成り立たないのだ。
わかりやすい店名で(笑)
「マイペース」って(笑)
新幹線ってすごいね、長岡の朝の買い物時間に間に合うんだ。
まだ10時くらいかな。
突き当りがJR長岡駅。
ちと戻って長岡城の天守閣あたりを散歩してみるか。
ひっそり碑が立っていた。
車で20分くらい行ったところにある悠久山公園に長岡城が再建されている。
なかなかいいアピールだ。
おっと新潟によくある道の色、冬に道路下から温水をだして氷をとかすのだが
鉄分が含まれているようでこういう色になるらしい。
地名はかならずチェックしよう。
あのはす向かいにある建物の場所が河合継之助の住居跡。
河合継之助を主人公とした映画 『峠 最後のサムライ』が2022年公開される。
役所広司さんが河合継之助役だ。
河合継之助の記念館になっている。
河合継之助は幕末、長岡藩家老として西軍先発隊岩村精一郎(土佐)と交渉し
中立を主張したが西軍は相手にせず開戦となった。
河合継之助は西軍本隊は山縣有朋、黒田清隆との対談を希望したのが
岩村はバカにされたと感じたのかもしれない。
小さな長岡藩ごときのさらに家臣クラスめと思う可能性は十分ありうる。
実際に信州の諸藩は凡庸な家老がその都度恭順をしてきた。
長岡の小藩に人物がいるとは想像できなかったろうが、河合継之助は長崎に留学しており
西軍側にもその人物像は知っている人もいただろう、岩村も陸援隊にいたのだ。
ただ、長州人の岩村の評価は低く、軽率で無思慮。
山縣らとの面談を拒否された河合継之助は岩村に問うた
「あなた方が真の官軍ならば恭順しても良いが、討幕と会津討伐の正当な理由は何か、
旧幕府や会津を討伐すると言いながら本当は私的な制裁や権力奪取が目的では?
長岡領内への侵入と戦闘は断る」wikiより
岩村は反論できなかったそうだ、建前上の大義名分すら理解していなかったのだろうか。
河合継之助はさらに会津との仲介を申し出た。
河合継之助は長崎にいたので外国がアジアに侵出してきており中国が植民地に
されていたことなど知っていただろう、岩村も知っていたかと思うが。
つまり内戦をしている場合ではないという大局的な見方をしていたのではないか。
ただし河合継之助に対する評価は長岡では二分しているようだ。
藩に対して開戦前後一揆が発生、河合継之助は厳しく対処しているのが原因だ。
長岡城だ。
ところでこんな服装、ユニクロのダウンは素晴らしい、軽いよ。
最近かさばらないのも出ているので2色購入。
呉服町ってのはよくある地名だな。
呉服屋さんがあったんだろう。
実はつむの父方は世田谷の豪徳寺で呉服屋をやっていた。
洋服への変化にはついていけなかったようだ。
あまり興味はないのでスルー。
この近くに河合継之助の墓があったんだよな〜次回行くとしよう。
ちかくに公園があった。
長岡を空襲したってことはアメリカは小さな町まで爆撃したのだ。
日本人を根絶やしにするつもりあったのだろうか。
韓国人の友人が、日本人がアメリカと仲良くするのは信じられると
いっていたのを思い出す。
さてこの鐘は・・。
西軍が攻めてきたときにこの鐘を打ち鳴らしたのか、リアルな歴史だ。
雪国にありがちな銅板の屋根。
どういう物語があるのだろうか・・。
かたツムり・・多少びびっとくるものがある。
長州が長岡城を死守しようとしている・・・河合継之助は
城を取り戻したのだ。
2000円くらいだったかな、美味しかった。
ご飯が多いのさ、タッパーで酢飯を持ち帰った。
河合継之助の物語を楽しみにしよう。
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