下仁田を散歩|下仁田戦争と水戸天狗党・下仁田ネギのすき焼きうまい
(2024年11月に散歩)

このつけ汁のような蕎麦はうまかった。

車をとめて下仁田街道を西へ向かう。
この道は水戸天狗党が進軍した道なのだ。
世に言う下仁田戦争はこの先の下仁田でおきる。
水戸天狗党vs高崎藩中心幕府軍
おいおい水戸は徳川御三家の一つではないか。
このあたりは後半で考察していこう。

ここでしょ。

上州一ノ宮・一之宮貫前(ぬきさき)神社だ。
天狗党がここにはいると高崎藩は下仁田に本陣を構えて
準備をしたそうだ。

ひとりで〜チ・ヨ・コ・レ・イ・ト

心拍数あがるわ。

上野の国の一宮か。

めずらしいよな〜本殿を見下ろすのか。

さて、車で移動し下仁田にはいった。
下仁田といえば下仁田ネギだよな〜。
きあい≠ヘいっとる。

人が歩いていないのはいつものことだけど
文字通り錆びついとるの〜。

お店やってるかな〜夜ご飯が心配だけど
コンビニもなさそうだし。

2階から見下ろす男女の姿が想像できる・・・。

初陣の丑之助は13歳。
田丸稲之衛門の小姓、右手を切り落とされる重傷を負ったことから、
願って自害、首を討たれた。
13歳を参加させるなよ・・・。

高崎藩は敗れ、残兵は中山道で高崎に敗走。
高崎藩本陣付近での激戦は午前4時から6時頃まで続いた。
この戦いで高崎藩は36名、天狗党4人の戦死者を出した。

天狗党は挙兵当時、わずか63名であったが、
やがて発起人を慕う青年武士や諸国の浪人、農家の次男、三男等が集まり
総勢400人ほどになった。

諸国の浪人、農家の次男は立身出世の機会と考えたのだろうか。
農家の次男がどれだけの主義主張をもって参加したのだろうか。
武田や藤田などにカリスマを感じ盲目的に追従したのではないか。

インターネットどころか、書籍だってそんなに流通した時代ではない
十分な検討材料から判断したとは考えられない。

ここに泊まりたかったが満室・・人がいないようだけど満室なのか。

下仁田駅か・・なんとも。

下仁田といえば・・だよな〜。

お〜下仁田ネギだよ。

小さな街だよね。
もう何にもすることないか(笑)
しいていえば夕食場所をさがさないと。

この立派な建物・・水戸天狗党本陣が置かれた桜井家。

水戸藩は徳川御三家で二代水戸光圀は天下の副将軍といわれ
藩として参勤交代は免除、江戸常駐を許される立場ながら
勤皇思想が強い伝統なのだ。

これは水戸光圀が朱舜水を招き朱子学を深く突き詰めた結果、水戸学≠ニいう
天皇の伝統的権威を重視する考え方を確立したのだ。

戦前と戦後が混在しとる。
・・・おっと話がそれた。

江戸幕府も朱子学をしたが、絶対的な主従関係と立場の違いをいいとこどり
したもので、大陸で実はその主とは天命を受けた天子=%V皇にある。

水戸藩はそれに気づいてしまい、これを深く理解したようだ。
ここで自己矛盾に陥る・・幕府を守るという建前と天皇にお仕えするという本音だ。

となると幕府とはなにか?
本来、天皇がもっている統治権を幕府が委任されている(奪っている)という
解釈になる・・・。

徳川御三家の水戸藩士が幕府の老中井伊直弼を暗殺したのだ。
ありえない事実であるが、水戸学≠フ本音からすると
統治権を乱用して、天皇の許可を得ず開国したのは許せなかった
のではなかろうか。

すご!ってかやりすぎか。
これは江戸後期からこの街が養蚕で栄えた痕跡なのだ。
・・・おっと話がそれた。

水戸天狗党が目指したのは江戸幕府の将軍ではない、
西に西に京都を目指したのだ、天皇だ。
自分たちの忠義と正当性を理解してほしかったのだろう。

まして、京都には水戸出身の一橋慶喜がいる!
きっと水戸の思いを天皇につたえ自分たちをあたたかくむかえるだろう。

実際、行軍をすすめると歓迎し接待を受けることもあったようだ。

ところがところが、京都からきたのは征討軍、そしてその大将は一橋慶喜。
どれだけ愕然としただろうか。
接待待遇に加賀藩は手のひらをかえし,天狗党をなんと375名が処刑。
日本の歴史上一度に375名が処刑されたことがあっただろか・・。

ここだ、捕えられた高崎藩士七名が処刑された場所。
戦いは天狗党1000名に対し、高崎藩200名。

あった、祠だ。

さて宿へ。

いや〜老舗ではあるがなかなかよ。

お〜やっぱり〜
部屋の鍵がない(笑)

ここにしよっと、っていうかいうかここしかない。
で、なんでコロンビア(あとできいたら元喫茶店だそうで)

お〜まちがいなくうまい。
下仁田ネギあるし、隠れてみえないけどもちろんコンニャクもね。

うまかったばい(^_^)v

下仁田はコンニャク芋の産地で、全国のこんにゃくの相場がこの小さな街で
決まると言うくらいコンニャク芋の取引量がおおかったそう。
そういった金が動く場所だったため、接待などもありこういったお店ができた
とのこと。そういえば遊郭っぽい店が多かったとのこと。
昭和の前半には社員旅行なども多かったそうだ。
・・まぁすっかり下仁田戦争なんて過去のことなのさ。

おもしろいね、なんか人生観が伝わってくる。

夜のつまみを途中で準備しといた。
ちょっとピンボケだけど信州産りんご酢。

地元のビールよ〜ん。

朝ご飯。コンニャクを探してみて!

やっぱり下仁田ネギ。

この下仁田館では最盛期に多くの女中さんが働いていたそうだ。

出発。今回は車の試運転をかねていて1泊2日のちょい旅。

駐車場へ行く前に朝散歩。

右と左でまったく異なる地層だそうで。
中央構造線は、九州から関東にかけてある長大な断層。
「断層」というのは、大地の中のズレ目。
「構造線」は、「断層」のうち、たくさんずれ動いた結果、
両側に違う岩が並んだ、異なる地質の境界線になっている断層のこと。

わかりやすい。

火山灰が積もった地層で水ハケがよくコンニャク芋の栽培に適していたそうで。

お〜売ってるよな〜。

ネギを感じることはなかった・・・。

コンニャクを感じることはなかった・・・。
さて、織田家の城下町・小幡に立ち寄って帰るとしよう。

このつけ汁のような蕎麦はうまかった。

車をとめて下仁田街道を西へ向かう。
この道は水戸天狗党が進軍した道なのだ。
世に言う下仁田戦争はこの先の下仁田でおきる。
水戸天狗党vs高崎藩中心幕府軍
おいおい水戸は徳川御三家の一つではないか。
このあたりは後半で考察していこう。

ここでしょ。

上州一ノ宮・一之宮貫前(ぬきさき)神社だ。
天狗党がここにはいると高崎藩は下仁田に本陣を構えて
準備をしたそうだ。

ひとりで〜チ・ヨ・コ・レ・イ・ト

心拍数あがるわ。

上野の国の一宮か。

めずらしいよな〜本殿を見下ろすのか。

さて、車で移動し下仁田にはいった。
下仁田といえば下仁田ネギだよな〜。
きあい≠ヘいっとる。

人が歩いていないのはいつものことだけど
文字通り錆びついとるの〜。

お店やってるかな〜夜ご飯が心配だけど
コンビニもなさそうだし。

2階から見下ろす男女の姿が想像できる・・・。

初陣の丑之助は13歳。
田丸稲之衛門の小姓、右手を切り落とされる重傷を負ったことから、
願って自害、首を討たれた。
13歳を参加させるなよ・・・。

高崎藩は敗れ、残兵は中山道で高崎に敗走。
高崎藩本陣付近での激戦は午前4時から6時頃まで続いた。
この戦いで高崎藩は36名、天狗党4人の戦死者を出した。

天狗党は挙兵当時、わずか63名であったが、
やがて発起人を慕う青年武士や諸国の浪人、農家の次男、三男等が集まり
総勢400人ほどになった。

諸国の浪人、農家の次男は立身出世の機会と考えたのだろうか。
農家の次男がどれだけの主義主張をもって参加したのだろうか。
武田や藤田などにカリスマを感じ盲目的に追従したのではないか。

インターネットどころか、書籍だってそんなに流通した時代ではない
十分な検討材料から判断したとは考えられない。

ここに泊まりたかったが満室・・人がいないようだけど満室なのか。

下仁田駅か・・なんとも。

下仁田といえば・・だよな〜。

お〜下仁田ネギだよ。

小さな街だよね。
もう何にもすることないか(笑)
しいていえば夕食場所をさがさないと。

この立派な建物・・水戸天狗党本陣が置かれた桜井家。

水戸藩は徳川御三家で二代水戸光圀は天下の副将軍といわれ
藩として参勤交代は免除、江戸常駐を許される立場ながら
勤皇思想が強い伝統なのだ。

これは水戸光圀が朱舜水を招き朱子学を深く突き詰めた結果、水戸学≠ニいう
天皇の伝統的権威を重視する考え方を確立したのだ。

戦前と戦後が混在しとる。
・・・おっと話がそれた。

江戸幕府も朱子学をしたが、絶対的な主従関係と立場の違いをいいとこどり
したもので、大陸で実はその主とは天命を受けた天子=%V皇にある。

水戸藩はそれに気づいてしまい、これを深く理解したようだ。
ここで自己矛盾に陥る・・幕府を守るという建前と天皇にお仕えするという本音だ。

となると幕府とはなにか?
本来、天皇がもっている統治権を幕府が委任されている(奪っている)という
解釈になる・・・。

徳川御三家の水戸藩士が幕府の老中井伊直弼を暗殺したのだ。
ありえない事実であるが、水戸学≠フ本音からすると
統治権を乱用して、天皇の許可を得ず開国したのは許せなかった
のではなかろうか。

すご!ってかやりすぎか。
これは江戸後期からこの街が養蚕で栄えた痕跡なのだ。
・・・おっと話がそれた。

水戸天狗党が目指したのは江戸幕府の将軍ではない、
西に西に京都を目指したのだ、天皇だ。
自分たちの忠義と正当性を理解してほしかったのだろう。

まして、京都には水戸出身の一橋慶喜がいる!
きっと水戸の思いを天皇につたえ自分たちをあたたかくむかえるだろう。

実際、行軍をすすめると歓迎し接待を受けることもあったようだ。

ところがところが、京都からきたのは征討軍、そしてその大将は一橋慶喜。
どれだけ愕然としただろうか。
接待待遇に加賀藩は手のひらをかえし,天狗党をなんと375名が処刑。
日本の歴史上一度に375名が処刑されたことがあっただろか・・。

ここだ、捕えられた高崎藩士七名が処刑された場所。
戦いは天狗党1000名に対し、高崎藩200名。

あった、祠だ。

さて宿へ。

いや〜老舗ではあるがなかなかよ。

お〜やっぱり〜
部屋の鍵がない(笑)

ここにしよっと、っていうかいうかここしかない。
で、なんでコロンビア(あとできいたら元喫茶店だそうで)

お〜まちがいなくうまい。
下仁田ネギあるし、隠れてみえないけどもちろんコンニャクもね。

うまかったばい(^_^)v

下仁田はコンニャク芋の産地で、全国のこんにゃくの相場がこの小さな街で
決まると言うくらいコンニャク芋の取引量がおおかったそう。
そういった金が動く場所だったため、接待などもありこういったお店ができた
とのこと。そういえば遊郭っぽい店が多かったとのこと。
昭和の前半には社員旅行なども多かったそうだ。
・・まぁすっかり下仁田戦争なんて過去のことなのさ。

おもしろいね、なんか人生観が伝わってくる。

夜のつまみを途中で準備しといた。
ちょっとピンボケだけど信州産りんご酢。

地元のビールよ〜ん。

朝ご飯。コンニャクを探してみて!

やっぱり下仁田ネギ。

この下仁田館では最盛期に多くの女中さんが働いていたそうだ。

出発。今回は車の試運転をかねていて1泊2日のちょい旅。

駐車場へ行く前に朝散歩。

右と左でまったく異なる地層だそうで。
中央構造線は、九州から関東にかけてある長大な断層。
「断層」というのは、大地の中のズレ目。
「構造線」は、「断層」のうち、たくさんずれ動いた結果、
両側に違う岩が並んだ、異なる地質の境界線になっている断層のこと。

わかりやすい。

火山灰が積もった地層で水ハケがよくコンニャク芋の栽培に適していたそうで。

お〜売ってるよな〜。

ネギを感じることはなかった・・・。

コンニャクを感じることはなかった・・・。
さて、織田家の城下町・小幡に立ち寄って帰るとしよう。
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