安中を散歩|安中藩の城下町と安中宿と昭和の風景を散歩桜とツバキ
(2022年4月に散歩)
高崎駅からJR信越線で安中へ到着。
もう夕方4時くらいだったかな。
駅ホームからの風景。ん〜これは夜ライトアッップしたら絵になるぞ。
映画『えんとつ町のプペル』を思い出す。
あの映画は夢のある物語だったが、同時に息苦しさも感じた。
設定されたえんとつ町の世界が排ガスで薄汚れた未来社会のようであった。
銀河鉄道999で地球はボロボロになっているがあれと同じだ。
リニューアルされた感がある駅舎だね。
さて橋を渡って安中市内へはいろう、20分くらい歩いたかな。
あの山を越えると軽井沢だ、この碓氷峠を越えるのはたいへんだ。
高速をつかわないとほんと大変!
一度安中を車で訪れている ⇒ 安中散歩 新島襄旧宅
左に入り市内へと・・。
海近くでもないのによくここまえ錆びたな・・・。しかも現役のようだ。
町の名前に歴史がみえるの〜。
熊野神社か、行ってみよう。
柏木義円・・安中出身の思想家で無戦の世界を訴え続けた。
地元出身の新島襄に感銘し、同志社英学校へ入学するも学費が続かず退学・・。
ここにお墓があるが、この寺は実家だ。西広寺。
お寺の息子だが、キリスト教に入信・・親になんといわれたのだろうか・・・。
まぁそんなことは余計なお世話だが。
このお寺には名物がある・・・。
樹齢300年の巨大なツバキの木。
このカメラだと入りきらん。
ちょうと花が咲く季節だった、後半かな。
蒼い空に蔵は映えるのさ。
美しい建物は角度をかえてみたくなる・・・僕の悪い癖。
なんだ、寺を囲むようにツバキがおあちこちに。
桜は本来こんな感じで高さがでる木らしい。
ほどほどでバランスがいいのはメンテされているのだ。
韓国でも桜はあったがだいたいこんな感じ。
ツバキすげ〜な、こんなに大きい木はみたことない。
熊野神社に到着。
なかなか凝ったつくりだ、千鳥破風と唐破風を組み合わせたような見映えする社殿だ。
鳳凰も美しい彩色だ。
つむっちは木の材質そのままのほうが元来好きなのだが
この建築意匠は色がなじんでいて無駄がカラフルさがない。
こりゃ独特の職人センスだ。
木鼻の龍が上から威圧してくるのがまたいい。
こっちの木鼻は獅子か。
縁起物がならんどるの〜これだから鶴松なんて名前がでてくるのだ。
一匹塗り忘れてね〜か?
さて次に行くとしよう。
顔がでかい。
安中は徳川四天王の井伊直政の息子が一時治めていたが
その後、まぁコロコロと変わる藩主・・最後が板倉で明治を迎えた。
旧碓氷郡役所、明治時代の建物だな。
ちょいちょいいろんなものがでてくる。
なるほど、高台に行政施設があり、一段下がったメインストリート沿いが
庶民の暮らす街か。
もうちょっと高台を散歩しよう。
安中教会、当然新島襄がかかわっている。
この小学校入り口も満開だ。
この小学校の敷地はお城の敷地を利用したものだ。
安中藩の役割は碓氷峠関所と中山道の管理にある。
敵を関東平野に入れないことだ。
実際大坂の陣で現在の高崎の井伊家はこの安中を守りにきている。
これは安中藩の郡奉行の仕事場兼住居だ。
裁判、行政告知、税収などあらゆることを数人でこなした。
ま〜あちこちでこの話はでるが、よくまぁ少人数で・・きっとまわってなかったと思うが。
さて、庶民の街に降りてみよう。
旧中山道・・・皇女和宮はこの道を通って江戸へむかったのだ。
ちなみに安中藩の藩主は井伊⇒水野⇒堀田⇒板倉⇒内藤⇒板倉
明治になり華族令がでて藩主は華族になるが、板倉は女性当主でこの華族になることができず
最後の川越藩主松平康載(やすとし)が婿入りして板倉勝観と名乗り
板倉家は爵位を受けたそうだ。
ふと路地をみたら明るい門を発見・・もしかしたらいろんなヒストリーがあるかもしれないが
下調べはほぼしていないぶっつけ本番旅なのであとですごい寺だったことがわかるおとがある。
ふと思いついた・・・桜や何か花か緑、紅葉があればなんてことない場所でも絵になる。
と考えると名もない場所を散歩する価値がありだな。
強烈な看板建築だな、本来は家が続いていてみえない側面がみえてしまっている・・。
建物のフェザード(建築用語)だけつくりかえたのがばれてしまう。
なかなか昭和の風景だな〜人をあまりみない。
この郵便局の場所は安中宿の本陣があった場所だ(説明看板があった)。
あら、ふと脇道をみると古そうお寺だ。
おっと、教科書にない歴史をみつけた。
“ダイセンジ”でいいのかな〜。
本堂はさておき、こっちはシンプルながら力強さを感じる彫刻だな。
大阪の陣へは次男が出陣、長男は病弱でここ安中で守備についたのだ。
その時母=井伊直政正室が同行、母はここで亡くなったのだ。
大きい家だな〜。
錆びてるな〜温泉はどこだ?
バッティングセンター ⇒ ラーメン でいこう。
明日は試合だ。
豚骨ベース、替え玉してしまった。
暮れた・・。
家まではここから3時間はかかるから・・21時をすぎる。
安中駅に到着。
お〜ライトアップはしてないけどプペルの世界だな。
かなり明るく写している・・実際はかなり暗い。
さて、青春18きっぷ4回目が終了、あと1日はどこへいくかな(^o^)丿
高崎駅からJR信越線で安中へ到着。
もう夕方4時くらいだったかな。
駅ホームからの風景。ん〜これは夜ライトアッップしたら絵になるぞ。
映画『えんとつ町のプペル』を思い出す。
あの映画は夢のある物語だったが、同時に息苦しさも感じた。
設定されたえんとつ町の世界が排ガスで薄汚れた未来社会のようであった。
銀河鉄道999で地球はボロボロになっているがあれと同じだ。
リニューアルされた感がある駅舎だね。
さて橋を渡って安中市内へはいろう、20分くらい歩いたかな。
あの山を越えると軽井沢だ、この碓氷峠を越えるのはたいへんだ。
高速をつかわないとほんと大変!
一度安中を車で訪れている ⇒ 安中散歩 新島襄旧宅
左に入り市内へと・・。
海近くでもないのによくここまえ錆びたな・・・。しかも現役のようだ。
町の名前に歴史がみえるの〜。
熊野神社か、行ってみよう。
柏木義円・・安中出身の思想家で無戦の世界を訴え続けた。
地元出身の新島襄に感銘し、同志社英学校へ入学するも学費が続かず退学・・。
ここにお墓があるが、この寺は実家だ。西広寺。
お寺の息子だが、キリスト教に入信・・親になんといわれたのだろうか・・・。
まぁそんなことは余計なお世話だが。
このお寺には名物がある・・・。
樹齢300年の巨大なツバキの木。
このカメラだと入りきらん。
ちょうと花が咲く季節だった、後半かな。
蒼い空に蔵は映えるのさ。
美しい建物は角度をかえてみたくなる・・・僕の悪い癖。
なんだ、寺を囲むようにツバキがおあちこちに。
桜は本来こんな感じで高さがでる木らしい。
ほどほどでバランスがいいのはメンテされているのだ。
韓国でも桜はあったがだいたいこんな感じ。
ツバキすげ〜な、こんなに大きい木はみたことない。
熊野神社に到着。
なかなか凝ったつくりだ、千鳥破風と唐破風を組み合わせたような見映えする社殿だ。
鳳凰も美しい彩色だ。
つむっちは木の材質そのままのほうが元来好きなのだが
この建築意匠は色がなじんでいて無駄がカラフルさがない。
こりゃ独特の職人センスだ。
木鼻の龍が上から威圧してくるのがまたいい。
こっちの木鼻は獅子か。
縁起物がならんどるの〜これだから鶴松なんて名前がでてくるのだ。
一匹塗り忘れてね〜か?
さて次に行くとしよう。
顔がでかい。
安中は徳川四天王の井伊直政の息子が一時治めていたが
その後、まぁコロコロと変わる藩主・・最後が板倉で明治を迎えた。
旧碓氷郡役所、明治時代の建物だな。
ちょいちょいいろんなものがでてくる。
なるほど、高台に行政施設があり、一段下がったメインストリート沿いが
庶民の暮らす街か。
もうちょっと高台を散歩しよう。
安中教会、当然新島襄がかかわっている。
この小学校入り口も満開だ。
この小学校の敷地はお城の敷地を利用したものだ。
安中藩の役割は碓氷峠関所と中山道の管理にある。
敵を関東平野に入れないことだ。
実際大坂の陣で現在の高崎の井伊家はこの安中を守りにきている。
これは安中藩の郡奉行の仕事場兼住居だ。
裁判、行政告知、税収などあらゆることを数人でこなした。
ま〜あちこちでこの話はでるが、よくまぁ少人数で・・きっとまわってなかったと思うが。
さて、庶民の街に降りてみよう。
旧中山道・・・皇女和宮はこの道を通って江戸へむかったのだ。
ちなみに安中藩の藩主は井伊⇒水野⇒堀田⇒板倉⇒内藤⇒板倉
明治になり華族令がでて藩主は華族になるが、板倉は女性当主でこの華族になることができず
最後の川越藩主松平康載(やすとし)が婿入りして板倉勝観と名乗り
板倉家は爵位を受けたそうだ。
ふと路地をみたら明るい門を発見・・もしかしたらいろんなヒストリーがあるかもしれないが
下調べはほぼしていないぶっつけ本番旅なのであとですごい寺だったことがわかるおとがある。
ふと思いついた・・・桜や何か花か緑、紅葉があればなんてことない場所でも絵になる。
と考えると名もない場所を散歩する価値がありだな。
強烈な看板建築だな、本来は家が続いていてみえない側面がみえてしまっている・・。
建物のフェザード(建築用語)だけつくりかえたのがばれてしまう。
なかなか昭和の風景だな〜人をあまりみない。
この郵便局の場所は安中宿の本陣があった場所だ(説明看板があった)。
あら、ふと脇道をみると古そうお寺だ。
おっと、教科書にない歴史をみつけた。
“ダイセンジ”でいいのかな〜。
本堂はさておき、こっちはシンプルながら力強さを感じる彫刻だな。
大阪の陣へは次男が出陣、長男は病弱でここ安中で守備についたのだ。
その時母=井伊直政正室が同行、母はここで亡くなったのだ。
大きい家だな〜。
錆びてるな〜温泉はどこだ?
バッティングセンター ⇒ ラーメン でいこう。
明日は試合だ。
豚骨ベース、替え玉してしまった。
暮れた・・。
家まではここから3時間はかかるから・・21時をすぎる。
安中駅に到着。
お〜ライトアップはしてないけどプペルの世界だな。
かなり明るく写している・・実際はかなり暗い。
さて、青春18きっぷ4回目が終了、あと1日はどこへいくかな(^o^)丿
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