下田を散歩|黒船ペリー艦隊が来航した下田と金目鯛お寿司がおいしい
(2024年4月に散歩)
伊東→翌日の朝・東海館→河津を散歩。
そしてついに下田に到着した。
あら、唐人お吉といえば、アメリカの全権代表・ハリスの女では?
龍馬もかかわったのか??
サスケハナ号を再現しているのか。
サスケハナ(英語表記:Susquehanna)は
ネイティブアメリカンの言葉で「広く深い川」という意味。
なんとなく発音が日本語に近いの〜。
サスケハナは艦隊の旗艦だったので米国東インド艦隊司令長官ペリーが
乗船していたのだろう。
駅の改札(出口)。
駅前はソテツがあると南国風に感じる。
駅前にはサスケハナ号だ。
ペリーが下田上陸につかったのはサスケハナではなくポーハタン号らしいが。
ペリーロード方向へ向かうとしよう。
やっぱ海の近くだとお寺の名前に影響するよね〜。
これは完成しているのかな〜ガウディ作か。
下田はペリーロードくらいしか見所ないと思っていたけど
史跡があるではないか。
ここ宝福寺に龍馬像がある。
1863年勝海舟は、ここで土佐藩藩主山之内と会談し
龍馬の脱藩を許してもらったそうだ。
ここで歴史が動いたね〜脱藩は当時死罪だそうで
下手すると一族にも。
脱藩は死罪相当となると、刺客が向けられる可能性もある。
その後の活躍を考えると、勝が仲介して
脱藩をチャラにしたのは大きいように思える。
この寺には唐人お吉の墓がある。
18歳くらいかな,写真が残っているが
とんでもないきれいな方だ。
知らずに使っていたが、「唐人お吉」はお吉を軽蔑する言葉だった。
詳しくは後で。
ちなみにこの宝福寺は日米和親条約の日本側の打ち合わせ場所
だったそうだ。いや〜物言わぬ寺にすごい歴史があったものだ。
この木鼻を龍馬や勝など幕閣もみたんだろうな。
大安寺・・ここは悲しい歴史がある。
1688年薩摩藩の支藩である佐土原藩の船が相模灘で
嵐に見舞われ、やむなく積み荷の木材の一部を海に捨てたそうだ。
将軍家に献上の大切なご用材であった。
大事な藩の資材を海にしてたということで16名が自ら命を絶った。
木材は再度入手できるけど命はね・・・。
そういう考え方はなかったのだろうか。
当時でも人材は藩の財産ではないかと。
そろそろかな〜。
これは海の船着き場にあるあれイメージか。
こりゃ夜歩いたらつまずくぞ(笑)
でました、吉田松陰がここで拘留され小伝馬におくられたか。
了仙寺・・この静かな寺が歴史的な舞台となった。
1854年3月31日ここで日米和親条約の細則が決められた
日本とアメリカとの歴史が始まった。
ペリーロード。
石でできた建物があるが、伊豆では江戸城の築城に使う石を
切り出しており下田でも石づくりの建物がときどきある。
いい言い方をすれば花柳界、直球でいえば遊郭の風景だな。
ここもその痕跡がある。
しかし林大学頭はなかなか交渉上手なのか下田を開港で
よくなっとくさせたな。江戸までは遠くて不便だわ。
まぁ下田は賑わっていたようだが。
雰囲気あるわ〜。
今日は天気いいわ〜明日から雨なので今日は泊まらず
帰宅するとしよう。
着物を着た女性が橋の左から歩いてこないかしら・・。
来ないか・・・(数分経過)。
そうなのーーーー(^o^)/
ここね。
樺太は両国の共同領土としたのか、斬新だ。
プーチンは歴史に悪名を残したな・・・。
ただの侵略でとれだけ多くの人の命が・・。
さて、休憩といいつつ、利用することで貢献しなくては。
先日、長男とウインナーコーヒーにウインナーが入っているかどうかで(笑)
この色の違いはなんなんだろう。
そろそろお昼だな〜お寿司屋さんはないかな〜。
港ならあるだろ。
『 伊豆の踊子 』 川端康成は好きだね〜。
オーディブルで30回くらいきいたらやっとその魅力がわかってきた。
最初の5〜6回は眠いだけ。
今でいうところの聖地巡礼の旅人で賑わったのでは。
おもしれ〜街並だ、なまこ壁だらけだ。
突入!
うまい、やっぱり地元の寿司屋さんは美味しい!
親父と他のお客さんとカウンターで1時間半くらい話してたかな〜。
上寿司をおかわりしたら、金目鯛を2カンにサービス。
まぁうまいのなんのって。そんでもって楽しい時間だった。
コロナが終わってうれしい。
お寿司屋さんのちかくにお吉のやっていた店が残っている。
お吉は写真が残っていてとってもきれいな方。
お吉は14歳で芸妓になったが、船員の服を洗濯することで
生計をたてていたそうだ。
ハリスが長旅と交渉につかれ15Kgもやせ看護婦を幕府に要求。
幕府が男を用意すると回答したがハリスは女性を。
幕府は妾の要望と理解し、お吉に高給でお願い。
しかし3日ほどで首。なんかあったのは間違いない。
もとの仕事(洗濯)にもどろうとすると異人と交わった≠ニの
偏見から唐人お吉≠ニ蔑まれて下田から姿を消した。
その後、下田にもどり
ここで安直楼という小料理屋をやっていたがお酒に溺れ破産。
近くの稲生沢川で入水自殺、もしくはお酒に酔っておちたか。
遺骸はしばらくそのまま、不憫におもった先ほどの宝福寺の住職が
宝福寺に葬った。
そしたら、今度は住職に風当たりが強くなり・・・。
どの時代も偏見・群集心理というものはある。
蔑まれて、村八分にされたお吉はどういった気持ちだったのだろうか。
美人、お金ありじゃ〜、妬みがあったんだろうな〜。
つむ散歩ファンのナツの顔を最近みてね〜な。
若いときはお吉なみに美人だった(笑)
その後いっしょに仕事をしてて
心が疲れていてなにかにとりつかれているような顔したてが
よくなってよかったね〜。
さてと。
ここがその川だな・・・。
どうして位置が・・・おしゃれ??
吉田松陰がペリーの船に近づき乗せてアメリカに行きたいといった
海だ。もうちょっとやり方がなかったかな〜。
その後の活躍が大いにあったかもしれないが、
かなり強気でそうでもなかったかもしれない。
さて、次は来宮で降りるとしよう。
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