山口を散歩|大内氏の城下町山口と毛利元就もみた瑠璃光寺を散歩して
(2022年12月に散歩)
袖解(そでとき)橋。
大内氏の時代、その城下町に入るときにここで身支度を整えたのだ。
歴史というものは物語があって面白い。
何も知らなければただの道・・・。
ながれてね〜な。
ちなみにここで井上馨が襲われ、重傷をおって生死をさまよった。
背中、頭を切られたとか。それが外務大臣まで務める人物に。
襲ったのは藩内の反対派。
頭上は晴れてるけど、山の方は・・・こりゃ雨くるな。
セブンイレブンでちとあんまんとホットコーヒーを。
山水館という宿泊施設らしい。
すいぶんと背の高い、紅葉する木ってやや低木のイメージが。
そんなことね〜か。
広沢真臣宅があったそうだが、痕跡はないね〜。
広沢は木戸孝允の側近として坂本龍馬、五代友厚らとも会談。
麹町の自宅に刺客に襲われ39歳でなくなり松陰神社に葬られた。
犯人は迷宮入りし不明。
さてさて。
坂か・・・いくか。
がお〜。
縁切りたい人いませんか?切れるそうだ。
階段は下りを慎重に・・捻挫したらアウトだ。
ほ〜縁を結んだり、切ったりできる神さまね。
中国の山水画にでてきそうな山だな。
雲の陰が山に映るのがなんともいい。
なんかとんでもないところに来た感じではあるが。
木戸孝允邸・・・跡だろうな。
なるほど〜。
木戸神社・・神にする必要あったかな。
ご祭神・・・どうして戊辰戦争を遂行したのか。
恭順する会津を武装解除すれば大きな見方になったであろうに。
坂本龍馬がいきていたらな〜。
さて散歩と。
日大創設者の山田 顕義(あきよし)。
法務大臣になった。
今回は大村益次郎に縁がある・・いってみるか。
大村益次郎はここを宿舎として兵学を教えたそうだ。
大村益次郎は実際に長州征伐(幕府から言い方だな・・)で指揮を執り
各所で幕府軍を撃退している。
教科書的には幕府軍にまとまりがなく戦意がいまいちといった言い方を
しているが、大村の戦術が功を奏したのではないかという評価があった。
さて大村益次郎に関係ないが、無印が家をつくっているのか。
堺の暴れん坊をまつとしよう。
本日のランチは中華、700円くらいだったかな。
とにかく飲食店がなくて。
観光地ではないローカルを散歩しているからな〜しゃーない。
西の京都といわれた大内氏の時代の城下町が残っているのか・・・
行ってみよう。
その前に瑠璃光寺に。
大内氏時代のお寺だ。
1549年毛利元就は大内義隆に挨拶をするため山口を訪れ、3ヶ月山口に
滞在したそうだが、この瑠璃光寺の五重塔をみて感動したとか。
元就の長男・隆元は大内氏の人質となっていた。
隆元の隆≠ヘもちろん大内義隆からもらったものだ。
大内義弘は湾口都市博多と堺を掌握し、朝鮮との貿易で利益をあげていた。
足利義満は有力な山名など守護大名として目をつけ、大内義弘は
応永6年(1399年)堺で戦死。堺の本行寺には供養塔がある。
堺の暴れん坊さん訪問は運命か!
26代弟・盛見は兄の菩提を弔うため、香積寺に五重塔を造営中
九州の少貳勢と戦って戦死・・って総大将自ら戦死ってどんだけ激しい戦であったのか。
五重塔はその後、嘉吉2年(1442年)頃落慶。
五重塔は大内文化の最高傑作といわれ、そして
大内義弘はこの五重塔の下に眠っていると伝わる。
脂肪肝のツボに1票。
さて小雨降る中、ある場所へ。
ここ。
今はなんだろ、集合住宅?
幕末に戦況を一変したといわれる錦の御旗。
京都西陣から素材をもちこみ、山口のここでづくったのだ。
堺の暴れん坊は寒そうだな(笑)
そこから数分歩くと山口県県政資料館(旧県庁舎及び県会議事堂)がある
裏には現在の県庁など。
どこが好きかというとどっしりとした安定感、シンプルながらも丁寧な建築。
屋根の色と壁の色のコントラストもいいセンス。
そんでエントランスいいよね〜あそこで雨宿りとか、傘をパンパンとかできるっしょ。
いい薬医門でしょ〜幕末、萩からここ山口に本拠を移した毛利氏は
ここに藩庁を置いたのだ、その遺構がこの門。
まわりの風景にとけこんだきれいな橋だな〜。
このお寺は毛利元就の菩提寺、洞春寺だ。
この山門は1400年くらにできたものらしい、600年か。
エビスビールあります∴ネ来のキャッチコピーだな(笑)
まずは本殿にお参りと。
堺の暴れん坊、やる気あるの〜セールスらしくて足腰がつよい。
井上馨の墓にお参りだ。
なんかとなりに第一夫人とか、第二夫人とか・・・。
いいね〜。
この散歩の続きはこちら ⇒ 山口を散歩 大内氏と龍福寺
袖解(そでとき)橋。
大内氏の時代、その城下町に入るときにここで身支度を整えたのだ。
歴史というものは物語があって面白い。
何も知らなければただの道・・・。
ながれてね〜な。
ちなみにここで井上馨が襲われ、重傷をおって生死をさまよった。
背中、頭を切られたとか。それが外務大臣まで務める人物に。
襲ったのは藩内の反対派。
頭上は晴れてるけど、山の方は・・・こりゃ雨くるな。
セブンイレブンでちとあんまんとホットコーヒーを。
山水館という宿泊施設らしい。
すいぶんと背の高い、紅葉する木ってやや低木のイメージが。
そんなことね〜か。
広沢真臣宅があったそうだが、痕跡はないね〜。
広沢は木戸孝允の側近として坂本龍馬、五代友厚らとも会談。
麹町の自宅に刺客に襲われ39歳でなくなり松陰神社に葬られた。
犯人は迷宮入りし不明。
さてさて。
坂か・・・いくか。
がお〜。
縁切りたい人いませんか?切れるそうだ。
階段は下りを慎重に・・捻挫したらアウトだ。
ほ〜縁を結んだり、切ったりできる神さまね。
中国の山水画にでてきそうな山だな。
雲の陰が山に映るのがなんともいい。
なんかとんでもないところに来た感じではあるが。
木戸孝允邸・・・跡だろうな。
なるほど〜。
木戸神社・・神にする必要あったかな。
ご祭神・・・どうして戊辰戦争を遂行したのか。
恭順する会津を武装解除すれば大きな見方になったであろうに。
坂本龍馬がいきていたらな〜。
さて散歩と。
日大創設者の山田 顕義(あきよし)。
法務大臣になった。
今回は大村益次郎に縁がある・・いってみるか。
大村益次郎はここを宿舎として兵学を教えたそうだ。
大村益次郎は実際に長州征伐(幕府から言い方だな・・)で指揮を執り
各所で幕府軍を撃退している。
教科書的には幕府軍にまとまりがなく戦意がいまいちといった言い方を
しているが、大村の戦術が功を奏したのではないかという評価があった。
さて大村益次郎に関係ないが、無印が家をつくっているのか。
堺の暴れん坊をまつとしよう。
本日のランチは中華、700円くらいだったかな。
とにかく飲食店がなくて。
観光地ではないローカルを散歩しているからな〜しゃーない。
西の京都といわれた大内氏の時代の城下町が残っているのか・・・
行ってみよう。
その前に瑠璃光寺に。
大内氏時代のお寺だ。
1549年毛利元就は大内義隆に挨拶をするため山口を訪れ、3ヶ月山口に
滞在したそうだが、この瑠璃光寺の五重塔をみて感動したとか。
元就の長男・隆元は大内氏の人質となっていた。
隆元の隆≠ヘもちろん大内義隆からもらったものだ。
大内義弘は湾口都市博多と堺を掌握し、朝鮮との貿易で利益をあげていた。
足利義満は有力な山名など守護大名として目をつけ、大内義弘は
応永6年(1399年)堺で戦死。堺の本行寺には供養塔がある。
堺の暴れん坊さん訪問は運命か!
26代弟・盛見は兄の菩提を弔うため、香積寺に五重塔を造営中
九州の少貳勢と戦って戦死・・って総大将自ら戦死ってどんだけ激しい戦であったのか。
五重塔はその後、嘉吉2年(1442年)頃落慶。
五重塔は大内文化の最高傑作といわれ、そして
大内義弘はこの五重塔の下に眠っていると伝わる。
脂肪肝のツボに1票。
さて小雨降る中、ある場所へ。
ここ。
今はなんだろ、集合住宅?
幕末に戦況を一変したといわれる錦の御旗。
京都西陣から素材をもちこみ、山口のここでづくったのだ。
堺の暴れん坊は寒そうだな(笑)
そこから数分歩くと山口県県政資料館(旧県庁舎及び県会議事堂)がある
裏には現在の県庁など。
どこが好きかというとどっしりとした安定感、シンプルながらも丁寧な建築。
屋根の色と壁の色のコントラストもいいセンス。
そんでエントランスいいよね〜あそこで雨宿りとか、傘をパンパンとかできるっしょ。
いい薬医門でしょ〜幕末、萩からここ山口に本拠を移した毛利氏は
ここに藩庁を置いたのだ、その遺構がこの門。
まわりの風景にとけこんだきれいな橋だな〜。
このお寺は毛利元就の菩提寺、洞春寺だ。
この山門は1400年くらにできたものらしい、600年か。
エビスビールあります∴ネ来のキャッチコピーだな(笑)
まずは本殿にお参りと。
堺の暴れん坊、やる気あるの〜セールスらしくて足腰がつよい。
井上馨の墓にお参りだ。
なんかとなりに第一夫人とか、第二夫人とか・・・。
いいね〜。
この散歩の続きはこちら ⇒ 山口を散歩 大内氏と龍福寺
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