鶴岡を散歩|庄内藩の経済力と致道館でのオリジナル人材育成方法とは
(2022年11月に散歩)
さて春日山・柏崎から山形県・鶴岡へ。
特急・指定席に乗れるなんて大人の休日ありがとうございます!
電車にも顔≠ェある、ちょいデコ広め?
信濃川〜!!!かも。
もうすっかり刈り入れもおわったか。
ついに初上陸・鶴岡。
わくわくがとまらないそ〜(^o^)/
ほ〜レトロなものを再現したか。
なるへそ、これはけっこう歩きそうだ。
まぁこんなもんだな。
冬はたいへんなんだろ〜な〜と思いつつ。
なんだろ,どうやらJAの倉庫らしい。
地元のスーパーでどんなものを売っているのかみるのは楽しみなのだ。
まぁ狙いは果物と魚かな。
すごく鮮度がいいアジがこの価格か、夜まで残ってないだろうから
買ってしまった・・食べるぞ!
公園で(笑)
ほ〜いい感じの建物。
このあたりは藤沢周平さんの小説の舞台らしい。
あとでお城のところにいくが記念館があった。
残念ながら本を呼んだことないな〜時代物だったような。
たぶん,映画はある。
この街のメインストリートだな。
昭和の風景だな。
おっとローカルの映画館があるようだ。
この偶然の出会いがまたうれしいのだ。
あれだ。
鶴岡まちなかキネマ
説明をみると・・・
「鶴岡まちなかキネマ」は昭和初期に建築された木造の絹織物工場を
リノベーションした映画館です。
2010年に開館しましたが、新型コロナウィルス感染拡大の影響があり
2020年5月に閉館しました。
その後新たに山王まちづくり株式会社が運営母体となり
2023年3月25日に再オープンしました。
映画館は改装中で近づけず・・まぁまた今度。
日本海側の雪国にはよくある風景だな〜。
秋も深まってきたわい。
それにしても今回の散歩は天気がいい。
正面にまわると・・日枝神社ね。
昼時だけど食べれそうなお店はこれまで一軒もみてない。
まぁアジを食べたからまぁそれほどお腹はすいてないが。
庄内は徳川四天王筆頭・酒井忠次の流れだな。
古い建物と青い空は映えるの〜。
古いモノを壊さず生かす文化はとってもすき。
なんとかなりそうだけどな〜。
城下町は道が曲がるんだな〜。
こりゃまたシャッター目立つな。
アーケードが負の遺産にならないといいけど。
お〜存在感あるある。
シーラカンスを釣ったエビス様?鯛じゃなかったっけ???
鶴岡城の堀の一部だ。
庄内藩では西郷隆盛にとても感謝している。
会津と同じく幕末に佐幕派として新政府軍と対峙した。
庄内藩は旺盛な資金力から軍装備が新しく強力な軍事力を
もっていた。最終的には西軍の軍門にくだったが会津のように
その後僻地への悲惨な国替えなどはなくおとがめなし・・。
もともと庄内藩士が薩摩藩と交流があり
どうも薩摩へ留学していたそうだ。
運命には逆らえず抗戦することになったが・・。
鶴岡市役所だ。
酒井家の子孫はまだこの鶴岡に住んでいるとか。
大正天皇即位を記念してつくられたらしく
もともとは物産展など会場で現在は資料館。
オランダバロック風の建物らしい。
色使いがなんとも斬新だな〜。
屋根から違うドーム型屋根が突き出た感が松江城のような・・・。
ちょっと奇妙な感じがするけど、どうなの?
このあたりが鶴ヶ岡城本丸跡か。
幕末に活躍した庄内藩の本拠地だ。
御殿ということで川越城と同じで天守閣はなく
こんな感じの屋敷型の建物があったそうで。
まぁだいたい本丸あとはこんなもん。
あがめるの〜(笑)
葵の・・ね。
これは庄内の酒井家を国替えするという幕命に対して
庶民が藩主を変えるなと幕府に直訴し、転封が取り消された事件だ。
幕府に直訴するのは、大抵地元の藩主の悪政に対する訴状であり
藩主をかえないでくれという直訴は前代未聞だったそうで
江戸の庶民も庄内藩を賛辞する評判になったそうだ。
川越藩と長岡藩、そして庄内藩の国替えで
長岡藩は少々やらかしておとがめがあり
川越藩松平家でも失政・・・
政治的な意図もあって豊かな庄内への移転が
画策されていたそうだ。
天保の改革中だった水野忠邦はこの転封を中止した。
実際、庄内藩では藩主と有力商人本間家が連携して
庶民暮らしをささえ天保の大飢饉ものりきった。
主従の信頼関係があったのだ。
へ〜新種開発か。
ここは庄内藩の学問所・致道館だ。
よく残ってたね〜。
ここで勉強した人材が庄内藩をより豊かにしたそうだが
ではどういう人材育成をしていたのか。
大抵、朱子学で武士の心得的なところがおおいんだよな〜
つまんなくて俺なら寝るね。
ほ〜通り一遍な教育はしていなかったのか
個別教育なんてどっかの大手予備校みたいだ。
この時代でこれはレアだ。
いい感じのモザイクになっている屋根瓦だな。
それとのし瓦が高い、これは卯建(うだつ)と同じ意味合いがある。
やっぱ朱子学ではなく、自分で考え自分学習する・・・
現実に役立つ実学だったようだ。
江戸時代にこれはすごい。
そりゃ、有力藩になるわな。
西郷でてくるか。
西郷が西南戦争を起こしたとき呼応して決起するのではと
明治政府は危惧したといわれる、まぁ木戸なら十分ありえる。
薩摩藩に留学していた旧庄内藩士は帰郷を断り
薩摩軍に入り戦死している。南州墓地に眠っている。
旧会津藩士は西南戦争で政府軍に参加している。
同じ奥羽越列藩同盟の雄藩も処罰の対応から
その後に立場を違えるのはしゃーないか。
これくらいの規模の部屋がおおい。
おもしろいものを見つけた,生駒8000石。
四国で生駒騒動というお家騒動で幕府の逆鱗に触れ
ここ秋田県由利本荘に転封されたのだ。
元AKBの生駒さんはここのご出身。
ちなみに庄内藩は16万7000石!
会津は23万石・・。
いい政治と経済力は国力を強くするのだ。
黒田清隆も一役買っていたか。
ご自由にどうぞとあったので1個いただき。
花梨というらしい・・見た目からリンゴみたいに食べられるとおもったが
固くて食べられなかった(T_T)/
お昼前に・・食べるところがない。
さ〜てお散歩。
ネーミングがどうしても気になる。
外国人ダンサーでそうしてフクロウ?(笑)
さてさて。
どうしてもネーミングが気になる・・・。
やっとお昼を食べるところがあった。
なんとかっていうブランド肉だったかな。
雨の城下町もなかなかいいものよ。
もう11月なのに蝉の抜け殻か・・。
こんな感じ。
昭和な感じの風景だな。
『おくりびと』のロケ地はこのあたりなのか。
みたことないけど。
あ〜。
コンビニ近いと助かるわ〜。
温泉の混み具合わかると助かるわ〜。
さて、明日はどこを散歩するか。
さて春日山・柏崎から山形県・鶴岡へ。
特急・指定席に乗れるなんて大人の休日ありがとうございます!
電車にも顔≠ェある、ちょいデコ広め?
信濃川〜!!!かも。
もうすっかり刈り入れもおわったか。
ついに初上陸・鶴岡。
わくわくがとまらないそ〜(^o^)/
ほ〜レトロなものを再現したか。
なるへそ、これはけっこう歩きそうだ。
まぁこんなもんだな。
冬はたいへんなんだろ〜な〜と思いつつ。
なんだろ,どうやらJAの倉庫らしい。
地元のスーパーでどんなものを売っているのかみるのは楽しみなのだ。
まぁ狙いは果物と魚かな。
すごく鮮度がいいアジがこの価格か、夜まで残ってないだろうから
買ってしまった・・食べるぞ!
公園で(笑)
ほ〜いい感じの建物。
このあたりは藤沢周平さんの小説の舞台らしい。
あとでお城のところにいくが記念館があった。
残念ながら本を呼んだことないな〜時代物だったような。
たぶん,映画はある。
この街のメインストリートだな。
昭和の風景だな。
おっとローカルの映画館があるようだ。
この偶然の出会いがまたうれしいのだ。
あれだ。
鶴岡まちなかキネマ
説明をみると・・・
「鶴岡まちなかキネマ」は昭和初期に建築された木造の絹織物工場を
リノベーションした映画館です。
2010年に開館しましたが、新型コロナウィルス感染拡大の影響があり
2020年5月に閉館しました。
その後新たに山王まちづくり株式会社が運営母体となり
2023年3月25日に再オープンしました。
映画館は改装中で近づけず・・まぁまた今度。
日本海側の雪国にはよくある風景だな〜。
秋も深まってきたわい。
それにしても今回の散歩は天気がいい。
正面にまわると・・日枝神社ね。
昼時だけど食べれそうなお店はこれまで一軒もみてない。
まぁアジを食べたからまぁそれほどお腹はすいてないが。
庄内は徳川四天王筆頭・酒井忠次の流れだな。
古い建物と青い空は映えるの〜。
古いモノを壊さず生かす文化はとってもすき。
なんとかなりそうだけどな〜。
城下町は道が曲がるんだな〜。
こりゃまたシャッター目立つな。
アーケードが負の遺産にならないといいけど。
お〜存在感あるある。
シーラカンスを釣ったエビス様?鯛じゃなかったっけ???
鶴岡城の堀の一部だ。
庄内藩では西郷隆盛にとても感謝している。
会津と同じく幕末に佐幕派として新政府軍と対峙した。
庄内藩は旺盛な資金力から軍装備が新しく強力な軍事力を
もっていた。最終的には西軍の軍門にくだったが会津のように
その後僻地への悲惨な国替えなどはなくおとがめなし・・。
もともと庄内藩士が薩摩藩と交流があり
どうも薩摩へ留学していたそうだ。
運命には逆らえず抗戦することになったが・・。
鶴岡市役所だ。
酒井家の子孫はまだこの鶴岡に住んでいるとか。
大正天皇即位を記念してつくられたらしく
もともとは物産展など会場で現在は資料館。
オランダバロック風の建物らしい。
色使いがなんとも斬新だな〜。
屋根から違うドーム型屋根が突き出た感が松江城のような・・・。
ちょっと奇妙な感じがするけど、どうなの?
このあたりが鶴ヶ岡城本丸跡か。
幕末に活躍した庄内藩の本拠地だ。
御殿ということで川越城と同じで天守閣はなく
こんな感じの屋敷型の建物があったそうで。
まぁだいたい本丸あとはこんなもん。
あがめるの〜(笑)
葵の・・ね。
これは庄内の酒井家を国替えするという幕命に対して
庶民が藩主を変えるなと幕府に直訴し、転封が取り消された事件だ。
幕府に直訴するのは、大抵地元の藩主の悪政に対する訴状であり
藩主をかえないでくれという直訴は前代未聞だったそうで
江戸の庶民も庄内藩を賛辞する評判になったそうだ。
川越藩と長岡藩、そして庄内藩の国替えで
長岡藩は少々やらかしておとがめがあり
川越藩松平家でも失政・・・
政治的な意図もあって豊かな庄内への移転が
画策されていたそうだ。
天保の改革中だった水野忠邦はこの転封を中止した。
実際、庄内藩では藩主と有力商人本間家が連携して
庶民暮らしをささえ天保の大飢饉ものりきった。
主従の信頼関係があったのだ。
へ〜新種開発か。
ここは庄内藩の学問所・致道館だ。
よく残ってたね〜。
ここで勉強した人材が庄内藩をより豊かにしたそうだが
ではどういう人材育成をしていたのか。
大抵、朱子学で武士の心得的なところがおおいんだよな〜
つまんなくて俺なら寝るね。
ほ〜通り一遍な教育はしていなかったのか
個別教育なんてどっかの大手予備校みたいだ。
この時代でこれはレアだ。
いい感じのモザイクになっている屋根瓦だな。
それとのし瓦が高い、これは卯建(うだつ)と同じ意味合いがある。
やっぱ朱子学ではなく、自分で考え自分学習する・・・
現実に役立つ実学だったようだ。
江戸時代にこれはすごい。
そりゃ、有力藩になるわな。
西郷でてくるか。
西郷が西南戦争を起こしたとき呼応して決起するのではと
明治政府は危惧したといわれる、まぁ木戸なら十分ありえる。
薩摩藩に留学していた旧庄内藩士は帰郷を断り
薩摩軍に入り戦死している。南州墓地に眠っている。
旧会津藩士は西南戦争で政府軍に参加している。
同じ奥羽越列藩同盟の雄藩も処罰の対応から
その後に立場を違えるのはしゃーないか。
これくらいの規模の部屋がおおい。
おもしろいものを見つけた,生駒8000石。
四国で生駒騒動というお家騒動で幕府の逆鱗に触れ
ここ秋田県由利本荘に転封されたのだ。
元AKBの生駒さんはここのご出身。
ちなみに庄内藩は16万7000石!
会津は23万石・・。
いい政治と経済力は国力を強くするのだ。
黒田清隆も一役買っていたか。
ご自由にどうぞとあったので1個いただき。
花梨というらしい・・見た目からリンゴみたいに食べられるとおもったが
固くて食べられなかった(T_T)/
お昼前に・・食べるところがない。
さ〜てお散歩。
ネーミングがどうしても気になる。
外国人ダンサーでそうしてフクロウ?(笑)
さてさて。
どうしてもネーミングが気になる・・・。
やっとお昼を食べるところがあった。
なんとかっていうブランド肉だったかな。
雨の城下町もなかなかいいものよ。
もう11月なのに蝉の抜け殻か・・。
こんな感じ。
昭和な感じの風景だな。
『おくりびと』のロケ地はこのあたりなのか。
みたことないけど。
あ〜。
コンビニ近いと助かるわ〜。
温泉の混み具合わかると助かるわ〜。
さて、明日はどこを散歩するか。
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