寒河江を散歩|大江広元が地頭として治めた寒河江の城下町寺町を散歩

寒河江を散歩|大江広元が地頭として治めた寒河江の城下町寺町を散歩

(2022年梅雨に散歩)

寒河江を散歩|大江広元が地頭として治めた寒河江の城下町寺町を散歩

山形城を散歩して、次はどこへ向かうかというと・・・

寒河江を散歩|大江広元が地頭として治めた寒河江の城下町寺町を散歩

フルーツの街というべきか、寒河江(さがえ)だ。

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山形からローカル線で30分くらいだったかな〜。
見ての通りサクランボが有名、ちょうどサクランボの季節であった。

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なんでこの地に来たかというと『鎌倉殿の13人』の一人なのかな
大江広元にゆかりがある土地なのだ。

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このお寺はちょっと遠い今回はパス。
そのかわり、いくつかおもしろいお寺に出会えた。
これだから散歩はやめられない。

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地名のルーツは神奈川県にある寒川神社にあるのか・・・1000年以上の歴史か。

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駅前で蕎麦をいただき、どうみてもここで蕎麦打ちしてない・・・。
駅前の案内ではいくつもの蕎麦屋を紹介し、蕎麦屋の街くらいアピールしていたが。

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日傘があれば多少散歩もできるがやっぱり日傘までさして散歩するより
部屋で読書や映画がいいと思う(笑)

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いってみるか。

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夜の街であったか。
夜の街があるほど賑わっているような感じにはみえないのだが。
郊外に工場があるとか?

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なにかいい感じの通りで。

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あら、料亭みたいな建物だ。

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陣屋か・・・今でも宿泊施設のようだ。

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そんでここは武家屋敷があったところ、この道も古いわけだ。

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地元のデパート?

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ここにも戊辰戦争の痕跡があるのか・・・桑名藩の戦死者か
三重県の人がここまできて命を落とすのか。

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ちょっと脇道に入ってみた、酒屋さんかな。

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鎌倉殿の13人にゆかりの地・・・鎌倉幕府の文官・ブレイン大江広元なのだ。
源頼朝が全国に守護(軍事警察)・地頭(税金徴収)を1185年に設置して
鎌倉幕府が事実上成立したが、大江広元は寒河江の地頭もしていたのだ。

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などと考えていたら、偶然ゆかりの寺に出会った!
この時点ではまだわからず寺があるからいってみようかという程度。
この道が、今は脇道だが妙に広いので気になっていた。
突き当たりは寺なのでたぶん参道だろうと予測ができる、この道幅は
かなりの社格のお寺では。

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さてと、この山門が寒河江城の山門を移築したものと伝わる。
寒河江氏は大江氏がこの地に土着して寒河江氏を名乗った。

承久の乱で後鳥羽上皇に川に大江広元の嫡男がついている。
たぶんお家を守るためにどちらかが勝っても大江が残るようにしたのでは。

鎌倉が勝ち、嫡男を地頭として領地としていたこの地に潜伏され
嫡男が許されはれて寒河江氏を名乗ったのだ。

この大江氏の血脈による統治は最上義光に滅ぼされるまで
なんと400年続いた!

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あれ、この橋を渡る前に水路か・・・お清めの意味があるが、寺が軍事的な機能を
持った時代があり、堀としての役割があったかもしれない。
実際このあたりは寺町で寺が複数狭い範囲にある。
寺町は兵隊の宿舎・拠点となることがある。

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澄江(ちょうこう)寺。

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ちなみに大江広元の四男に季光(すえみつ)がいる。
季光は広元から譲られた毛利荘(神奈川県)を本拠とし毛利季光と名乗った。
この子孫が中国地方の毛利元就なのだ、大江広元も子孫繁栄で驚きだろう。

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この写真を撮っているときにご住職に声をかけられ、すこし話した。
どこから?なにをみて?この寒河江に観光客がくるのはうれしそうだ。

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何と書いているはわからんの〜。

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これはモノホンの駕籠だ!たしかにおいておくと場所とるが
あそこにあげておくかね〜重たそうだけど。

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たしかに第一印象は大事だ。
理由なんて後付けって説もある・・・。

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お〜福泉寺か、なんともいいお名前だ。

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ここも大江=毛利なんだ。

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どういうポスターなんだろ(>_<)

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ここまできてか戦死・・ここは庄内方面へつながるところだからな。

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手をあわせていこう。

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暑いんだけど風がつよっ!生温かい風が気持ち悪いの〜。

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寒河江駅構内のイベントでパン屋さんがでていたので。

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あらいい時間だな。

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山形駅で乗り換えて米沢へ向かうとしよう。

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夏は車窓の風景を楽しむ旅がいいかの〜家でビール飲んでスポーツ観戦、映画か。
さて、米沢まで寝るとしよう。

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