新庄を散歩|戸澤氏の新庄藩新庄城と梅雨の新庄市内をぶらり散歩
(2022年梅雨に散歩)
新庄はきたことがある・・秋田方面から南下してきたかな〜
奥羽山脈は雄大で車窓からの風景は絶景だった。
東北といえばお祭りだ、新庄でもお祭りがあるか。
ここは駅構内ね。手前の今風のイケメンは若手演歌歌手にしかみえない。
駅前の風景はこんな感じ・・・まさに梅雨空だな
(カメラが明るく撮るので実際はかなり暗いのだ)。
韓国ドラマでいうとそろそろ何かよろしくないことが起きそうな雰囲気。
新庄藩の新庄城を目指すとしよう、まっすぐだ。
いったい築何年なのか。
なんかでてきたな。
ほ〜新庄は観光に力を入れてるんだな〜。
新幹線は新庄でおわりにせず、庄内までいってくれないかな。
ちょっと脇道に入るとしよう
ここか・・。
この一角が昭和の風景ね。
曙町飲食店街・・・。
たしかに昭和だけど、三丁目の夕日ではなく、夜の街だな(笑)
コロナの影響があったような感じではあるが、やっているのだろうか。
やっぱこういう街は夜にぶらりしたいね。
左は宇宙人か?
とまれ屋・・・上からだな(笑)
28℃くらいかな、ちょっとムシムシしてる。
新庄城に向かおう、この道を通ったかな〜おぼてない。
昨日自分が作った会議資料を「だれこの資料つくったの?よくできてるね」
ということはあっても、何年も前に歩いた道はしっかり覚えているのに〜。
町名はよくチェックしている・・。
これこそ昭和感があっていいでしょ。
おっと痕跡がみえてきた。
あれだ、新庄城・・・新庄藩の藩主は戸田氏だ。
日本史の教科書にはでてこない角館出身の一族で
関ヶ原で東軍に味方したが、対上杉氏に消極的で一度常陸へ。
最上氏のお家騒動で新庄藩を立藩。
なかなか幅がある堀だな。
最上公園ね。
戸澤正盛、この人が新庄藩の初代だ。
幕末は激動の舵取りだったようだ。
新政府軍が新庄に入り、ともに庄内を攻めたが惨敗・・・寝返って奥羽越列藩同盟に参加。
庄内藩とともに新政府軍を撃退するが、北側の有力藩・久保田藩(秋田藩)が
新政府側に寝返ったため、再び新政府側についた。
庄内藩が新政府軍と交戦中であったため、庄内藩は激怒・・
この新庄の街は庄内藩によって焼き払われている。
新庄はしばらく復興せず、明治初期に新庄を訪れた大英帝国の旅行家
イザベラバード氏は街並みを酷評した・・っていうかこの人は口が悪い。
「新庄はみすぼらしい町である。ここは大名の町である。私が見てきた大名の町は
どこも衰微の空気が漂っている。お城が崩されるなか、あるいは崩れ落ちるままに
放置されているということも、その原因の一つであろう。新庄は米、絹、麻の
大きな商取引があるから、見た目ほど貧弱なはずがない」
『日本奥地紀行』イザベラ・バード
維新後の各地の城下町の雰囲気がよく表現されている。
新政府は反政府分子の拠点になることを恐れ城は棄却令を出している。
日和見主義と批判はされるだろうが、当時はどの藩も
佐幕か、新政府軍かで藩の方針が二分した・・責めることはできないの〜。
ん〜天守閣はもともとなしか。
これは・・
ここか?左におれたところに城門。
お参りして駅に戻るとしよう。
五円(ご縁)玉は散歩用にキープしてある。
お〜来るのか、人口3万の新庄市に。
30年後の人口はどうなっているだろうか。
地方のどの街もそうだが、半分以下ではないだろうか。
コンビニ、ユニクロ、イオンは一応ある。
よく新幹線がきたよな〜山形新幹線か。
堀内孝雄の 「愛しき日々」は白虎隊と会津藩の悲運を歌ったものだ。
新庄で歌うのは微妙だな・・・。
バスはないに等しいか・・。
なるほど。
おもしろい建物だな〜いいぞ。
かなりシャッターのようだ、こういうアーケードの老朽化に対処できるだろうか。
新庄市役所・・・1625年は戸田氏が拠点を新庄に移し藩政が確立した時期だな。
このあたりは新庄藩お抱えの紙すき職人が住んだところだそうだ。
紙を作るには水がいるからね〜。
現代になにか紙すきの痕跡がないかと探してみたが、残念見つけられず。
これは新潟でよくみる冬にお湯がでるやつね。
鉄分が含まれるそうで、さびてこんな色になる。
さて新庄駅に戻ってきた。
実はここで考えた。
予定では山形に戻って宿泊だが、かなりの高温多湿になる見込み。
庄内はそこまでではない・・・ところが新庄から庄内方面へいくJRが
不通で、代行バスか。混み合ったバスには乗りたくない。
結局、山形へ。新幹線を使えるけどあっという間につくので
あえてローカル線で・・・爆睡(笑)
さて山形市内へ。
新庄はきたことがある・・秋田方面から南下してきたかな〜
奥羽山脈は雄大で車窓からの風景は絶景だった。
東北といえばお祭りだ、新庄でもお祭りがあるか。
ここは駅構内ね。手前の今風のイケメンは若手演歌歌手にしかみえない。
駅前の風景はこんな感じ・・・まさに梅雨空だな
(カメラが明るく撮るので実際はかなり暗いのだ)。
韓国ドラマでいうとそろそろ何かよろしくないことが起きそうな雰囲気。
新庄藩の新庄城を目指すとしよう、まっすぐだ。
いったい築何年なのか。
なんかでてきたな。
ほ〜新庄は観光に力を入れてるんだな〜。
新幹線は新庄でおわりにせず、庄内までいってくれないかな。
ちょっと脇道に入るとしよう
ここか・・。
この一角が昭和の風景ね。
曙町飲食店街・・・。
たしかに昭和だけど、三丁目の夕日ではなく、夜の街だな(笑)
コロナの影響があったような感じではあるが、やっているのだろうか。
やっぱこういう街は夜にぶらりしたいね。
左は宇宙人か?
とまれ屋・・・上からだな(笑)
28℃くらいかな、ちょっとムシムシしてる。
新庄城に向かおう、この道を通ったかな〜おぼてない。
昨日自分が作った会議資料を「だれこの資料つくったの?よくできてるね」
ということはあっても、何年も前に歩いた道はしっかり覚えているのに〜。
町名はよくチェックしている・・。
これこそ昭和感があっていいでしょ。
おっと痕跡がみえてきた。
あれだ、新庄城・・・新庄藩の藩主は戸田氏だ。
日本史の教科書にはでてこない角館出身の一族で
関ヶ原で東軍に味方したが、対上杉氏に消極的で一度常陸へ。
最上氏のお家騒動で新庄藩を立藩。
なかなか幅がある堀だな。
最上公園ね。
戸澤正盛、この人が新庄藩の初代だ。
幕末は激動の舵取りだったようだ。
新政府軍が新庄に入り、ともに庄内を攻めたが惨敗・・・寝返って奥羽越列藩同盟に参加。
庄内藩とともに新政府軍を撃退するが、北側の有力藩・久保田藩(秋田藩)が
新政府側に寝返ったため、再び新政府側についた。
庄内藩が新政府軍と交戦中であったため、庄内藩は激怒・・
この新庄の街は庄内藩によって焼き払われている。
新庄はしばらく復興せず、明治初期に新庄を訪れた大英帝国の旅行家
イザベラバード氏は街並みを酷評した・・っていうかこの人は口が悪い。
「新庄はみすぼらしい町である。ここは大名の町である。私が見てきた大名の町は
どこも衰微の空気が漂っている。お城が崩されるなか、あるいは崩れ落ちるままに
放置されているということも、その原因の一つであろう。新庄は米、絹、麻の
大きな商取引があるから、見た目ほど貧弱なはずがない」
『日本奥地紀行』イザベラ・バード
維新後の各地の城下町の雰囲気がよく表現されている。
新政府は反政府分子の拠点になることを恐れ城は棄却令を出している。
日和見主義と批判はされるだろうが、当時はどの藩も
佐幕か、新政府軍かで藩の方針が二分した・・責めることはできないの〜。
ん〜天守閣はもともとなしか。
これは・・
ここか?左におれたところに城門。
お参りして駅に戻るとしよう。
五円(ご縁)玉は散歩用にキープしてある。
お〜来るのか、人口3万の新庄市に。
30年後の人口はどうなっているだろうか。
地方のどの街もそうだが、半分以下ではないだろうか。
コンビニ、ユニクロ、イオンは一応ある。
よく新幹線がきたよな〜山形新幹線か。
堀内孝雄の 「愛しき日々」は白虎隊と会津藩の悲運を歌ったものだ。
新庄で歌うのは微妙だな・・・。
バスはないに等しいか・・。
なるほど。
おもしろい建物だな〜いいぞ。
かなりシャッターのようだ、こういうアーケードの老朽化に対処できるだろうか。
新庄市役所・・・1625年は戸田氏が拠点を新庄に移し藩政が確立した時期だな。
このあたりは新庄藩お抱えの紙すき職人が住んだところだそうだ。
紙を作るには水がいるからね〜。
現代になにか紙すきの痕跡がないかと探してみたが、残念見つけられず。
これは新潟でよくみる冬にお湯がでるやつね。
鉄分が含まれるそうで、さびてこんな色になる。
さて新庄駅に戻ってきた。
実はここで考えた。
予定では山形に戻って宿泊だが、かなりの高温多湿になる見込み。
庄内はそこまでではない・・・ところが新庄から庄内方面へいくJRが
不通で、代行バスか。混み合ったバスには乗りたくない。
結局、山形へ。新幹線を使えるけどあっという間につくので
あえてローカル線で・・・爆睡(笑)
さて山形市内へ。
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