壬生を散歩|蘭学の壬生城下町の『解体正図』物語と幕末の雄琴神社
(2024年5月に散歩)
岩舟、栃木を散歩して壬生にきた。
栃木に壬生?ってところだよね〜。
実は今日の散歩はここがメイン。
へ〜。
駅前はこんな感じ。
駅前が栄えていないじゃないか?
そりゅそうだろ、栄えている街中に線路をひけないから
はずれた場所にしたのだ。
ヒュ〜風がとおりにぬけた。
この壬生は蘭学=西洋医学の歴史がある街なのだ。
さて、メインストリート。
昭和感あるな〜。
壬生宿・・ 日光西街道の宿場町で壬生藩の城下町なのだ。
代々壬生藩の藩医だった石崎家。
天然痘が江戸時代にも流行していた。感染力の強く
羅患率、致死率の高い、世界が対峙した強烈なウイルスだ。
現在は根絶されている、医学がウイルスに勝ったのだ。
ちなみに幕末の孝明天皇も天然痘で亡くなったといわれている
ただし、会津に近い天皇に毒をもった説もあるが・・。
1796年イギリスで牛痘(ぎゅうとう)(牛の天然痘)の菌を人に植えつけると
その人は天然痘を発症しないことを発見された。
齋藤玄昌は壬生藩の藩医で、中国の書物から
種痘法(牛痘法)を学んだらしい。
壬生藩では藩主などの理解もあり、藩内で強制的に
接種を行い天然痘を克服したのだ。
(やっと昼飯・・・)
この絵『解体正図』は藩医・齋藤玄昌・石崎正達が解剖したときのもの。
下野壬生でこういった医学の取り組みがなされている
同時期に大阪では緒方洪庵、福井、佐倉でも藩医が
天然痘対策で活躍。
なんだかの情報共有があったのんでしょうね〜。
満足(^o^)/
蘭学の街か、おもしろい特徴だったね。
名医の屋敷あとか。
さて、壬生城に到着。
藩を豊にするのが広く知識を得ること、そういう認識があったんでしょ。
儒学か、人としてどうあるべきか、フィロソフィーだな。
論語を含めよくあるところ。
よくみたら医学がはいっている、さすが蘭学の壬生だ。
壬生城のこの門はもちろん新品、本物は小山にある
偶然みつけた 小山を散歩
公園になっている、資料館があるようだ。
平城で堀はしっかりのこってるね〜。
まぁこんなもんかな。
しろだけじゃね〜ぞ、誠(嘘、いつわりのない正義)ありって。
こんな屋敷っぽい城ね。
そうか日光へいく道中だからな。
すごい部屋数だな(笑)
壬生氏のあとは鳥居氏が治めたが、壬生の名前は残った。
ちなみに鳥居氏が山形22万石から壬生3万石に転封となった。
なんかやらかしたな。
壬生のキャラクター・・・。
いや〜でかいだろ。
お墓をつっきって表にまわった。
亡くなっている皆さん、失礼しまーす。
ん〜参道も・・。
ここも戊辰戦争の戦地に歴史になったのだ。
下野は日光に徳川家康の墓があるということだろうか
西軍に反対する旧幕府勢力が終結した地域なのだ。
安塚は壬生と宇都宮の中間点かな。
江戸城明け渡しに反対して大鳥圭介が1600人を引き連れて
下野にながれ、京都からの新撰組も合流、
土方は宇都宮で足に銃弾をうけ負傷。
休憩ずら。
大盛り過ぎて(笑)
画廊スナックっていうカテゴリーがあったのか(^o^)・・ビミョー
立派な門だし、雰囲気があるの〜。
戊辰戦争中の治安維持ならびに王政復古の精神を住民に
徹底させることが狙いで、
雄琴神社の神職黒川豊麿(幼名は静馬(しずま))を隊長として
神職を中心に編成された。
下野一帯の神職総勢56人。
同隊は編成後、付近一帯の治安維持 と住民への教育宣撫に奔走した
そうだ。
その雄琴神社だ、なんか神秘的というか。
なになに?
初めて見たわ(笑)
迫力あるよな〜オレの写真テクかもしれんが・・
すきな言葉な自画自賛。
翼がすごいね〜仏教彫刻。
迫力あるよな〜オレの写真テクかもしれんが・・
すきな言葉な自画自賛。
江戸時代の建物よ。
この柱を海老っていうんだわ、たしかに目を細めてみると・・・。
参道、歴史感じるでしょ〜。
振り返ってみた。
祭りはいいよね〜。
全国の祭り巡りとかやろうかな。
扇子鳥と勝手に呼んでいる、さてなぜか。
さて、壬生の散歩を楽しんだ。
宇都宮へ向かうとしよう。
そうだ、円仁の寺いくの忘れた、まぁいいか(笑)
岩舟、栃木を散歩して壬生にきた。
栃木に壬生?ってところだよね〜。
実は今日の散歩はここがメイン。
へ〜。
駅前はこんな感じ。
駅前が栄えていないじゃないか?
そりゅそうだろ、栄えている街中に線路をひけないから
はずれた場所にしたのだ。
ヒュ〜風がとおりにぬけた。
この壬生は蘭学=西洋医学の歴史がある街なのだ。
さて、メインストリート。
昭和感あるな〜。
壬生宿・・ 日光西街道の宿場町で壬生藩の城下町なのだ。
代々壬生藩の藩医だった石崎家。
天然痘が江戸時代にも流行していた。感染力の強く
羅患率、致死率の高い、世界が対峙した強烈なウイルスだ。
現在は根絶されている、医学がウイルスに勝ったのだ。
ちなみに幕末の孝明天皇も天然痘で亡くなったといわれている
ただし、会津に近い天皇に毒をもった説もあるが・・。
1796年イギリスで牛痘(ぎゅうとう)(牛の天然痘)の菌を人に植えつけると
その人は天然痘を発症しないことを発見された。
齋藤玄昌は壬生藩の藩医で、中国の書物から
種痘法(牛痘法)を学んだらしい。
壬生藩では藩主などの理解もあり、藩内で強制的に
接種を行い天然痘を克服したのだ。
(やっと昼飯・・・)
この絵『解体正図』は藩医・齋藤玄昌・石崎正達が解剖したときのもの。
下野壬生でこういった医学の取り組みがなされている
同時期に大阪では緒方洪庵、福井、佐倉でも藩医が
天然痘対策で活躍。
なんだかの情報共有があったのんでしょうね〜。
満足(^o^)/
蘭学の街か、おもしろい特徴だったね。
名医の屋敷あとか。
さて、壬生城に到着。
藩を豊にするのが広く知識を得ること、そういう認識があったんでしょ。
儒学か、人としてどうあるべきか、フィロソフィーだな。
論語を含めよくあるところ。
よくみたら医学がはいっている、さすが蘭学の壬生だ。
壬生城のこの門はもちろん新品、本物は小山にある
偶然みつけた 小山を散歩
公園になっている、資料館があるようだ。
平城で堀はしっかりのこってるね〜。
まぁこんなもんかな。
しろだけじゃね〜ぞ、誠(嘘、いつわりのない正義)ありって。
こんな屋敷っぽい城ね。
そうか日光へいく道中だからな。
すごい部屋数だな(笑)
壬生氏のあとは鳥居氏が治めたが、壬生の名前は残った。
ちなみに鳥居氏が山形22万石から壬生3万石に転封となった。
なんかやらかしたな。
壬生のキャラクター・・・。
いや〜でかいだろ。
お墓をつっきって表にまわった。
亡くなっている皆さん、失礼しまーす。
ん〜参道も・・。
ここも戊辰戦争の戦地に歴史になったのだ。
下野は日光に徳川家康の墓があるということだろうか
西軍に反対する旧幕府勢力が終結した地域なのだ。
安塚は壬生と宇都宮の中間点かな。
江戸城明け渡しに反対して大鳥圭介が1600人を引き連れて
下野にながれ、京都からの新撰組も合流、
土方は宇都宮で足に銃弾をうけ負傷。
休憩ずら。
大盛り過ぎて(笑)
画廊スナックっていうカテゴリーがあったのか(^o^)・・ビミョー
立派な門だし、雰囲気があるの〜。
戊辰戦争中の治安維持ならびに王政復古の精神を住民に
徹底させることが狙いで、
雄琴神社の神職黒川豊麿(幼名は静馬(しずま))を隊長として
神職を中心に編成された。
下野一帯の神職総勢56人。
同隊は編成後、付近一帯の治安維持 と住民への教育宣撫に奔走した
そうだ。
その雄琴神社だ、なんか神秘的というか。
なになに?
初めて見たわ(笑)
迫力あるよな〜オレの写真テクかもしれんが・・
すきな言葉な自画自賛。
翼がすごいね〜仏教彫刻。
迫力あるよな〜オレの写真テクかもしれんが・・
すきな言葉な自画自賛。
江戸時代の建物よ。
この柱を海老っていうんだわ、たしかに目を細めてみると・・・。
参道、歴史感じるでしょ〜。
振り返ってみた。
祭りはいいよね〜。
全国の祭り巡りとかやろうかな。
扇子鳥と勝手に呼んでいる、さてなぜか。
さて、壬生の散歩を楽しんだ。
宇都宮へ向かうとしよう。
そうだ、円仁の寺いくの忘れた、まぁいいか(笑)
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