金沢を散歩|金沢長町武家屋敷跡とにし茶屋街と寺町と忍者寺を散歩
金沢の空は真っ青、昨日までの爆弾低気圧はどこへいった。
2015年10月はややすずしい。
りっぱなお寺だな。
専光寺か。
宮崎映画にでてきそうな。
今日も10時間くらい歩くかも。
近江町市場へいきましょう。
ホテルではあえて朝食をたべていません。
市場と言えば午前中にいくのがいいでしょう。
なるほど。
今はえびがおいしい季節らしい。
もうカニもでていますね。
いや〜これもうまそうだ。
これなら食べ歩きもできるし。
これもいいな・・・。
え〜やすい。シャケ大好き(>_<)
結局これにしまして。
イカ、ニシ貝、賞をとったウインナー。
全部で600円くらいかな。
いいな〜これで350円!近所に住みたい。
これが名物のどぐろです。
たかいんですわ〜今回の旅では食べず。
500円でえびを購入。食べ歩きにぴったりでしょ。
オフィス街を歩くと(えび食べながら)
さてさらに歩き。
どんぐりの季節ですね。
きれいなのがあるとついつい拾い集めてしまう(^^♪
昨日までの雨でちょっと増水かな。
金沢の地元をたのしむのは観光地をまわることだけではありません。
地元を感じるのは散歩でぶらりですな。
「のぼりません」?おもしろい表現ですな。
足軽資料館です、ここがおもしろい。
さて、これが加賀藩の足軽の家です。
一般的に足軽の住まいは長屋がおおいそうですが、金沢ではなんと、庭付き一戸建て。
しかも、平屋ですがひろい。
40〜60uくらいかな。
左が戦時、右が平時です。
3LDKかな〜。
足軽の年収は今のお金で約100万円です。
その50%をお米購入がしまたそうです。
これでは苦しいわけで、家族そろって副業をしていたそうです。
副業の内容はお盆や正月で使う灯籠などイベントの道具をつくっていたそうです。
まぁ家は支給されていてもね、副業しないと。
今と違って、行事は大切ですからね。
必須だったというか、ニーズがあったわけですね。
それにしてもかけそばが320円か・・・今とかわんないね。
ごろんと昼寝したい。
すごくその衝動にかられたが、一応管理人さんがいまして・・・。
ここはリビングかな。
この庭につながる軒下がすきでね〜。
まぁこのつむ散歩ファンならわかってもらえますね。
ここはお客さまがきたときにご飯を食べたところ。
うまそうだ。
100円ショップで皮を切る道具を買おう。
柿はもちスーパーで買いますよ(とりませんので)
北陸の新聞社ビル。
ちょっと休憩。
うまかった、モチモチ。
このあたりが長町武家屋敷ですね。
金沢を散歩するのはこのあたりがいいかも。
やぁまぶしい、サングラスが使おう。
路地をはいったところに面白そうなお店が・・・
でもこのお店をみつけるのは大変というか、気が付かない。
いい。
ちょっとした、わびさび。隠れ家だね。
通りには人通りが多いのに、ここガラガラ。
そして後ろには年代物のひな人形。
これはいったいいつの時代のものだろうか。
頂きます♪
抹茶とセットで800円くらいかな。
あ〜りらっくす(^^)v
さて、ここでメモなどして記録を残しますわ。
そろそろ。
1時間くらいいたかな。
ここに雪がふったら素敵だろうに。
とってもいいでしょ。
よいよい。
あ〜ここブラタモリで歩いてた場所だ。
夜の街だね。
きれいな橋だ。犀川大橋というらしい。
デートスポットといいたいところですが、カップルはいない(>_<)
ここすごいな。
夜明かりがついたら、きっと絵になるぞ。
夜来ましたが残念ながら明かりはついておらず。
とってもいい。
妙慶寺。
シンプルななかに丁寧な装飾。
これはなかなか考えさせられるな。
もっと人生楽しめるはずだ、ここが自分の居場所じゃないなんて思っちゃうもんですよね。
たぶん風神でしょうね。
しっかしお寺多い。
前田利常(3代目)が寺を集めたそうです。
お城の片側に寺を集めて戦略上の防衛も意図したようですが、
このあたりは一向衆など宗教勢力が強かったので、これをなんとかしようという意図もあったのでしょうね。
ここまでの散歩ルートです。
そろそろお昼にしましょう。
にし茶屋街で何かいただきましょう。
にし茶屋街を歩きます。
ずいぶんと気温も上がってきました。
25℃くらいあるかな。
にし茶屋街にはいりました。
屋根が瓦でまわりが板張りで、明るい色使いですね。
江戸時代からの繁華街だったようですね。
街角の説明をみると“紳士の社交場”
現在でも料亭があり、芸妓(げいこ)がいるとのこと。
ただし、芸妓はお酒の席に同席以外のサービスはなしですよ(笑)
北陸ではまだその手のものがあるらしいですね、
現在ではコンパニオンというらしい。
このお店にしよう・・・金沢カレーのお店です。
金沢地元のビールはないようですが。
平日昼間っからビールというのはちょっと罪悪感ある・・・が
それをやってしまうところに休みだという実感がある。
実際そんなにビールが好きというわけではないので、
まぁそんな感じっす。
これがカツカレーです。
黒っぽい濃厚なルーにカツがのっています。
ここなんか夜は灯っていい感じになるのでは。
この縦の格子がとても美しい。
格子の密度など地域差がでるらしい。
さて裏道を歩いて行こう。
願念寺(がんねんじ)。
江戸時代に松尾芭蕉が立ち寄ったお寺。
芭蕉の門人の一人、小杉一笑という俳人のお墓があるらしい。
松尾芭蕉は1644年〜1694年、伊賀の国出身。
伊賀の出身だけに、忍者説がありますよね。
もしくは幕府の隠密(スパイ)だったとか(笑)
すぐとなりにある妙立寺(みょうたつじ)・・・の裏門。
通称・忍者寺。
寺内にいろんな仕掛けがあるらしい。
どうやらお寺の形をした軍事施設で、まわりの寺郡を監視し、寺内には見張り台、
隠し部屋、隠し階段や金沢城に通じる地下通路がある。
この昨日から忍者寺といわれるが、本当に忍者がいたかどうかは不明。
でも、自分はいてもおかしくないと思うけど。
一瞬なんてことない寺だが、上が見張り台になっていて外がみわたせるようになっているとのこと。
ここは要予約・有料の説法?をやっています。
おっとこれはこれは、おやつの時間。
さて何を買ったでしょうか。
こんな道をずっと歩きます。
すれ違う小学生がどのこも元気でね〜おっきい声で話しながら歩いてます。
三光寺。
この寺はあることで有名です。
明治維新後、大久保利通内務卿を紀尾井坂で暗殺した不平士族らが集会していた場所。
三光寺派といわれていたそうです。
ここは高峰譲吉という化学者の菩提寺。
化学者でwikiなどをみると波乱にとんだ人生だ。
小説を読んでみたい。
しっとりしてます。
泉野菅原神社。
玉龍寺。
幼稚園とお寺のコラボだ。
妙法寺か。
ん〜むずかしい、
このお寺のお坊さんはあんまりおもしろくなさそうだ。
しかしHPにのせられないくらいお寺が多い。
お寺をあつめたのは加賀藩前田家3代目利常。
この利常は初代利家の子供。
2代目利長には子供がいなかった。
利常は利家が朝鮮出兵にともなって九州にいったとき、侍女に手を出して
生まれた子だそうです。
利常は大阪の陣のあと、徳川幕府から四国への国替え打診をうけますが
加賀に固執。改易=前田家とりつぶしの可能性がでてきました。
まだ安定していない徳川政権にとって加賀前田家は残った脅威だったのでしょう。
徳川幕府としては体よくより遠くへ飛ばしたかったのでしょう。
そこですっかりバカを演じると同時に、徳川将軍家から嫁をもらい、徳川家にとっての
前田家脅威論をしずめたそうです。
しかし、よく集めたな。
大変な引っ越しだろうに。
実際あんなお寺みたいな大きな建物はどうやって引っ越すんだろうか。
木や瓦など骨格や基礎だけひっこして壁は塗り直しかな。
さて犀川を渡ろう。
とても全部のお寺をまわりきれないし、まわる必要もないだろう。
さてさて。
今回は足が全然痛くならない。
このくつランニング用で通気性はいいし、クッションもいい。
さすがに1日歩くと足が張るけど、なんともない。
これでは足つぼマッサージにいく楽しみがなくなるな〜。
4時か、寺町だけで数時間歩いた。
明日は高岡にむけて出発するし、兼六園や金沢城にはいけないな。
まぁいいか。
さっきの鉄橋だ。
さて、さっきのお店で買った月見団子をいただこう。
この団子がうまくてね〜たぶんちょっと砂糖がはいっている。
あとでネットでしらべたら、月見だんごは砂糖とみりんで甘味をつけているらしい。
さて一旦ホテルへ帰ろう。
今日の阪神vsヤクルトでセ・リーグの優勝がきまる。
能見打たれた・・・。
いい球投げたのに・・・あの球を打たれたのではしかたがない。
しかし、能見が相性の悪い打者とよく勝負したな・・・。
たしかに今日は打てていなかったとしても・・。
和田監督の判断はどうかと。
ピッチャーって打たれた印象ってのこってるんだよね。
どこ投げても打たれる感じ・・・。
金沢の夜景鑑賞ってところかな。
さむくなってきた。
今夜は金沢名物おでんと地酒で夕食です(^^)v
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